場面緘黙という症状があることで苦労する場面が多い場面緘黙キッズ
私たちの子どもの中には場面緘黙という症状があることで、友だち関係や環境に馴染むのに人一倍時間がかかってしまうことがあります。
さらに、馴染むことが他の子より苦労してしまう場面が多いです。
時間がかかるからこそ、嫌がらせをしてくる子がゼロとは限りません。
緊張してうまく話せないために「からかわれた」→「いじめられた」経験で考えたこと
緊張してうまく話せないと面白がって、からかわれる。
そんな経験を私はした事があります。
例えば、
「あ!って言ってみて!」
これを言う人の気持ちが、私はいまだによく分かりませんが…。
私が小4で塾に通っていた当時に言われました。初めて入った塾で緊張していたのでしょう。私は声が出ませんでした。正直びっくりしました。
それがきっかけで、「あ」も言えない子というレッテルを貼られてからは、いじめ行為がどんどんエスカレートしていきました。私はただ塾で勉強しに行ってただけなのに。
・先生が黒板に字を書こうと前を向くと一斉に消しゴムを私に投げる。
・塾が終わると一斉に私の靴箱に何かが書かれた小さく折り畳まれたメモ書きを大量に入れられる
・わたしの反応をわざわざ外で待って、ニヤニヤと見ている。
・画鋲を靴箱にわざわざ入れられていた事もありました。
・私が泣いたら大喜びされる。
そんな1年を過ごした事があります。直視したくなくていつも下を向いていました。それが気持ちを落ち着かせるための最後の手段だったから。
今でもあの出来事は脳裏にこびりついてます。
あの当時は、助けて欲しかったけど、どうやって「助けて」と言えばいいのか分からなかった・・だから「助けて」と言えなかったのです。
「親に言ったら殺す」とも言われていたので、怖くて言えなかったんでしょう。自宅にも電話がかかってきて「電話切ったら殺す」なんていうのも言われてました。
本気で殺されると思っていたし、電話代がかからないか、そんなことを小学生ながら気にしていましたね。
そんなことをされながらも、本気で殺されたら困ると思っていたので、親には「大丈夫だよ」と嘘を言ってました。
本当はやめたかったのに、やめられなかった恐怖の塾。
ですが、ある時「あの人たち」が書いてるメモ書きに「何が書いてあるのか知りたい」・・という興味がわいたので持ち帰ってみました。
これが良くも悪くも転機となりました。
書いてる内容はもちろん想像つくでしょうが、「死ね」「ブス」「アホ」などネガティブワード全開でびっしりと書かれたメモ。
これを、いつの間にか親が見ていたのです。
私にとってはそれが一番の最悪な状況でした。
大切にしてきてくれた親にだけは、自分がいじめられてるってバレたくなかった。
だってバレたら、親を悲しませてしまうから。それだけは、したくなかったのに!
だから、わたしが我慢すればいい・・
このしょーもない出来事はきっと終わるはず・・いつか終わるはず・・そう思ってました。
何事もなかったように大人になるまで封印しよう・・・そう思っていたのにバレてしまった。
いじめられてる自分をさらけ出されたのが悲しくて恥ずかしかった。どう思ってるんだろう・・こんな子どもで「ごめん」・・色々な思いが頭の中をかけ巡りました。
気持ちを伝えられないからこそ我慢してしまう子どもには理解してもらえる「人」が必要
わたしが一番勘違いしていたのです。
わたしは母親に「気づいてあげられなくてごめんね・・」そう言われて二人で泣きました。
その瞬間・・私の凍っていた心の「氷」がジワッと溶けていきました。
コミュニケーションって人と人が互いに意思・感情・思考を伝達し合うことと定義されているように、「人と人」なんです。
わたしは、コミュニケーションって人を傷つけるものではなくて、本来は、お互いを伸ばしていくものだと思っています。
そして、わたしはあの時母親に助けてもらった・・だから、次はわたしが助ける側にまわりたい!そう強く思ったのです。
「人は助けてもらった記憶がないと、人を助けられない」のです。
わが子にどんな記憶を残していきたいですか?
わたしは・・・たくさん傷ついてしまう場面緘黙の子だからこそ、考えることは周りの子と比べてたくさん機会を得てもらえていると感じます。
だからこそ、
本気で助けられた記憶
助けられて嬉しかった記憶
そんな「ポジティブな記憶」をいーっぱい残していきたい!素直にそう思います!