場面緘黙の症状があるから苦労しやすい子ども
私たちの子どもの中には場面緘黙という症状があるせいで、友だち関係や新しい環境に馴染むことに、ひといちばい時間がかかってしまうことがあります。
そして、新しい環境に馴染むことが他の子どもより苦労しやすい場面が多いことも特徴です。
時間がかかってしまうからこそ、臨機応変に動けないことがあったり、からかわれる対象になってしまったり、嫌がらせをされることがゼロとは限らないのです。
緊張してうまく話せなくて「からかわれる」→「いじめ」に発展した経験で学んだこと
緊張してうまく話せなかったり、ダンマリを続けてしまうことで、他の子とは違うせいで、からかわれる対象になったりすることがあります。
そんな経験を、私も過去にしたことがあります。
例えば、
「あ!って言ってみて!」
私はこれを指摘してくる人の気持ちが、いまだによく分かりません。
私が小4で通っていた塾で言われた一言です。突然名前も知らない子にニヤニヤしながら言われたことに、恐怖と緊張ですぐに声が出せませんでした。
それがきっかけで、「あ」も言えない子、というレッテルを貼られてしまいました。気づくと、塾へ行くたびに「いじめ」にあうようになりました。
それなのに、私は誰にも相談できませんでした。いじめ行為を直視するのが怖くて、私はいつも下を向いてました。
早くこの時間が終われば、解放される!
その思いで、なんとか乗り切ろうとしていました。今でもあの出来事は脳裏にこびりついてます。
もちろん、誰かに助けてもらいたかった。だけど、どうやって「助けて」と言えばいいのか分からなかったから言えなかったのです。
子どもながら、親には心配かけたくないと思っていたので、いつも親には平気なふりをして、嘘をついていました。
ですが、転機が訪れて親にいじめられてるのが発覚してしまいました。私にとってはそれが一番最悪な状況でした。
今まで大切にしてくれた親にだけは、いじめられてる事を知られたくなかった。なぜなら、親の悲しむ顔を想像できてしまうから。
気持ちを伝えられない子には「理解できる味方」が必要
わたしがいじめを受けていることに親がどう思うんだろう・・自分が弱いせいだ!もっと強くなれ!そう言われると思っていました。
ですが、現実は違っていました。
「気づいてあげられなくて‥ごめんね」
親に謝らせてしまったのです。
その瞬間・・私の凍っていた「心」がジワッと溶けました。
コミュニケーションとは、人と人が互いに意思・感情・思考を伝達し合うことと定義されているように、「人と人」です。
だからこそ、わたしはコミュニケーションで使われる「ことば」の使い方次第で、相手の心が凍りついてしまったり、相手の心を癒してあげたりする。そう感じました。
わたしはこの経験から感じたことがあります。あの時、母親に助けてもらって凍りついた心がジワッと溶けて、癒されて勇気が一瞬で湧いたのです!
そんな風に助けてもらったからこそ、わたしも人を助けたい!そう強く思った出来事でした。
「人は助けてもらった記憶がないと、人を助けられない」のです!
わが子にどんな記憶を残したいですか?
わたしは人前になると話せない場面緘黙の子が誤解されやすい状況にあることを知っています。
だからこそ、どんな記憶を残してあげたいのかというと
・人に助けてもらった記憶
・人に助けられて嬉しかった記憶
こんな「ポジティブな記憶」を子どもに残してあげたい!そう思っています!