自己評価が底まで落ちると、人はこうなる〜誰にも話していないあの頃の話

私の想い

今日は、
今の私からは
きっと想像できないと思う
一番、苦しかった頃の話をさせてください。

正直、
この話を書くのは少し怖いです。

過去を掘り返すと、
胸の奥が、痛むことばかりから。

ですが、
今まさに発達凸凹の子育てに苦しんでいるママにだけは、
どうしても知ってほしい
と思いました。

私は、
幼い頃から
ずっとお金のない環境で育ちました。

長女なのに、
服は誰かのお下がりばかり。

「安いものがいいもの」
「何を買うにも1円でも安いものを」

そんな価値観の中で生きるのが、
悲しくて、
とても惨めでした。

そして、それを言うことも許されなくて。

我慢するのが当たり前。
欲しがらないのが良い子。

そうやって私は、
少しずつ、
自分の気持ちを消す子になっていきました。

その感覚は、
大人になっても
消えませんでした。

大学生の頃、
学費も生活費も
すべてアルバイトでつなぎながら
生きていました。

昼は大学。
夕方からは家庭教師、または塾講師のバイト。
その後、朝までレストランでバイト。

ほとんど眠らずに働いて、
また大学へ行く。

そんなある朝、
バイト帰りのバスでのことです。

停車ボタンが、押せない・・・

降りる場所は決まっているのに、
指が動かない。

「私ひとりのために
バスを止めるのは迷惑だ」

心の底から、
そう思っていたんです。

だから、誰かが押したところで
一緒に降りる。
そこから長い距離をアパートまで歩く・・・

それが、
当時の私の自己評価でした。

今なら分かります。

あれは、
気遣いでも
優しさでもありません。

自分への評価が、
どん底まで低かった
ということ。

「私は、そこまでしてもらう存在じゃない」

そう、
信じ込んでいたんです。

自分のこと、大っ嫌いでした。
だから私は、
強く、強く
思うようになりました。

「自分の子どもには、
絶対に同じ思いをさせたくない」

この惨めさも、
自己評価が削られていく怖さも、
私の代で
終わらせる。

それが、
人生で一番大事な
誓いでした。

ですが・・・
皮肉なことに。

このあと、
結婚・出産を経て、
私は人生で一番怖い瞬間を迎えます。

「この子を、私と同じ思いにさせてしまうかもしれない」

そう思って、
泣き崩れた日の話です。

それは、
私が娘を命をかけて幸せにすると、覚悟を決めた瞬間でもありました。

次回は、
長女が生まれてからの
後悔だらけだった子育ての話をしますね。

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