1.発コミュを学びはじめた私が抱える帰省の不安
私には2人の娘がいます。
このエピソードは、学校に元気に通う長女・夏帆が小学5年生、不登校の次女・千帆が小学3年生だった頃の話です。
次女・千帆は、家で過ごしていれば元気ではあったのですが、家の外での活動となるとほとんど拒否。
不登校になり約半年、家に籠もる千帆の対応に悩んだ私は、繊細な子の心と脳を強くする親子の関わり方を専門に教えているむらかみりりかさんと出会い、そのメソッド「発達科学コミュニケーション(以下、発コミュ)」を学びはじめました。
そして、すぐ夏休みになり、娘たちが毎年楽しみにしている私の実家へ1ヶ月帰省することになりました。実家には私の父が1人で暮らしています。
私は、「千帆が学校が苦手で行ったり行かなかったりしている」ということは、父に話したことがありましたが、「孫が不登校」という現実ははっきりとは伝えていませんでした。
現実を知った父によって、千帆がますます傷つくのではないかと、不安を抱えながら、実家に帰省したのでした。
2.「おまえの子育ては失敗だ」不登校の現実を知った帰省先の父
発コミュを学び始めてすぐの私は、帰省先でも、発コミュの基本「肯定的に関わること」を試行錯誤しながらも常に意識して過ごしていました。
そして、父が学校の話題を出してきたときには「千帆はあんまり学校行ってないから」とやんわりと濁していました。
ところが、牛乳が苦手な娘たちを見た父が
「そんなことでは学校の給食の牛乳を残してばかりなんじゃないか?」と問い詰め、
長女・夏帆が「私は頑張って飲んでいる!千帆は不登校だから知らない!」と言い放ってしまったのです。
父にも千帆が不登校と言うことが明かされてしまいました。
祖父には知られたくなかった千帆は、大泣き。
この日以来、楽しい帰省のはずが、いつも誰かが怒鳴ったり泣いたり喧嘩したり・・・全員がイライラしていきました。
「できていないところを直す」しつけの関わりが基本にある父から見た、私の肯定的な対応は「甘やかし」。
娘たちがダラダラしていたり、いつまでも喧嘩をしていたりしても、私が叱らない姿に、父のイライラは募っていきました。
私に向かっては
「おまえの子育ては失敗だ」
「どうしてもっと厳しくしつけしない?」
「テレビに出てる教育評論家に相談しろ」
などと容赦ない言葉を浴びせてきます。
父は娘たちに
「ご飯は食べるのが遅いし、食べ方が汚い」
「お茶碗の反対の手は遊んでる」
「トイレに行ったらトイレの蓋を閉めない」
「玄関の靴はバラバラ」
「卵は食べない、練り物は嫌い、好き嫌いだらけじゃないか」
発コミュを習い始めた私が、いくら娘たちに肯定的な声をかけようとも、その何倍もの数で「しつけの言葉」(否定のシャワー)を浴びせてくるのです。
それもそのはず。父は、できていないことを指摘してなんとかしようとする“しつけ”の子育て方法しか知らないのですから。
3.しつけではうまくいかない繊細な子の脳
この頃の千帆の脳は安心を感じられる範囲がグッと狭くなっていました。
学校、習い事、友だち関係でのちょっとした失敗体験やうまくいかなかった記憶が、どんどん積み重なることにより自信を失ってしまってストレス状態。
周りの状況がよく目に入る繊細さがマイナスに働き、常に警戒モード。
少しでも危険なこと、イヤなことが起きそうなときには、過剰に反応し、行動をストップしたり、泣いたり、暴れたり、言葉にできず困った行動をするしかない状態です。
だからこそ、脳が喜ぶ肯定的なコミュニケーションで安心の範囲を少しずつ広げ、行動できたことを成功体験として脳に記憶させていく必要がありました。
この積み重ねが、家の外でも安心して活動できる心の土台となるからです。
脳は、否定の言葉をかける人の声、その内容を受け取ろうとしません。
発コミュを実践する前の私や、私の父がかけるしつけの言葉はほとんどが否定。
脳の聞く耳は閉じている状態なのです。
4.意を決した私が父に告げた子育ての軸
「孫が不登校」という受け止めがたい現実。
「娘は子育てに失敗した」という深い落胆。
父が混乱する中でも、厳しくしつけて「なんとかしてやりたい」という想いもよく分かります。
その一方で私は、今、警戒モードの千帆に、苦手なことやできていないことを指摘して伸ばすやり方は、ますます耳が閉じるだけだと感じていました。
「おまえの子育ては失敗だ」と言われ、悲しみや悔しさ、怒りが胸の中で渦巻いていましたが、
「このままではこの夏休みが成功体験の積み重ねになるどころか、失敗記憶の積み重ねで終わってしまうかもしれない」
「例え今、子育てに失敗していたとしても、必ず立て直せる」
その想いが私を突き動かしました。
何十年もしていなかった父との真剣な対話。
娘たちが寝静まった夜、意を決して話しに向かいました。
私が伝えたのは、私の子育ての軸。
それは、できていないところを責めるのではなく、良いところを見て伸ばすことです。
「この数日で感じたと思うけど、千帆は独特な感性の持ち主なんだよ。だから、私たちからしたら、ほんのちょっとのことでも、イヤがったり大騒ぎしたりするの」
「でも必ず千帆にしかない良いところがあるから」
「将来のためにって、叱ったり、脅したりをしないでほしい」
「私は千帆の良いところを伸ばしたいと思っているの。できてないところは口にしないで、良いところだけ見てあげてほしい」
こうして想いを告げた私に父はこう言いました。
「千帆に良いとこってあるか?」
発コミュを学んでいなかったら、確実に怒りに震えていたでしょうが、人を変えるのではなく、まず変わるのは自分。
悪いところしか目に入っていない父の姿は、以前の私と同じでした。
その日は、「想いを告げられた自分もハナマル、内容はともかく話しを聞いてくれた父もハナマル」と思い、寝ることができました。
5.帰省してから2週間で孫と祖父の関係に表れた変化
父に想いを告げてから数日後、私は発熱してしまい、実家の2階で部屋から出ずに過ごすことになりました。
必然的に、父と娘の3人は、私抜きで生活していかねばなりません。
それまでも毎日のように繰り返されてきた姉妹喧嘩に父の小言。
私がいれば、最悪な事態にならないように予防することができるのに、それも叶いません。
父の堪忍袋の尾が切れてしまえば、姉妹も荒れるのは目に見えています。
ところが2階から耳を澄ましても、姉妹のケンカする声は聞こえるものの、父の大きな声は聞こえてきません。
私が寝込んでいる間、姉妹の食事や洗濯、お風呂など、父は小言を言わず頑張ってくれていたのでしょう!
数日後、私の熱が下がった頃、千帆がこんな話しをしてくれました。
「私、卵嫌いだけど、じいじがレンチンしてくれたオムライス食べたらおいしかった!」と。
嫌いなものは断固拒否の千帆が、オムライスを食べるなんて信じられませんでした。
父が不器用ながらも否定の注目を減らして過ごしてくれていたことが、千帆の安心の範囲を広げることに繋がって、苦手なオムライスを食べることができたのです。
私の娘たちへの関わりはまだ変わりはじめたばかりでしたが、自分の想いを伝えることで、父も少しずつ変わろうとしてくれていることが伝わってきました。
毎年、秋には、娘たちの運動会に飛行機に乗って駆けつけてくれる父。
不登校でも運動会に出ようとする千帆を応援してくれる父は、「当日、出られても出られなくてもどっちでも良いんだ。運動会の後に孫と一緒にすき焼き屋さんに行くのが楽しみだから」と言ってくれるようになりました。
人を変えようとするのは大変だけれど、何もしなければ、想いは伝わらない。
もし、帰省先でしつけの声かけに悩んだり、子育ての失敗を責められたりすることがあっても、子どもたちを大切に想う気持ちは、祖父母も変わりません。
一瞬の勇気で話し合えば、わかり合える道筋が見えてくるかもしれませんよ。
執筆者:あなんしほ
発達科学コミュニケーショントレーナー