発達障害を受け入れられずに葛藤していた私が、息子たちからいかに生きていくのかを学ばせてもらえたと今は感謝ができるようになった心の変遷
はじめて療育病院に行った時、私が感じたこと
長男が発達障がいだと診断され
あれから早や16年。
初めて通院したのは5月の終わり頃でした。
長男が通っていた療育病院では発達障がいのお子さんだけではなく
車椅子に横になりチューブをつけているお子さん。
お母さんが話しかけても声が出ないお子さん。
私なんかより
もっともっと大変な想いをされているお母さんがたくさん通われています。
歩けて話せる息子なのに私なんかが泣き言を言ったらバチがあたる。
そう気持ちを奮い立たせながら
診察室では泣くのを堪えていたのを思い出します。
療育病院では
言語聴覚士さん
作業療法士さん
たくさんの方にお世話になっていました。
あるとき、心理士さんが
落ち込んでいる私に
落ち込んでいる私に
「こんな言葉しか見当たらないけれどお母さんだから
神様が障がいの息子さんをギフトとして授けてくださったのだと思います」
と言われたことがありました。
私を想っていってくださったことは
痛いほどわかっている。
痛いほどわかっている。
でも
でも
「そんなギフトなんかいらない!」と
若かった私は心の中で
怒り
拒否
湧き出てくる
感情を処理できずにいました。
感情を処理できずにいました。
診断を受けて16年経った今の私の感情は?
あれから16年の時を経た今。
今も悩みの渦中にいるお母さん達に
苦しみは喜びに
悲しみは慈しみに
変えられる日が来るんだよと、お伝えしたいのです。
息子達は、私がいかに生きるかということを教えてくれたのです。
多数派にいれば安心で
人の目ばかり気にして
なんとなく生きてきた私が
自分の奥底の想いをこうやって文章にし
人からどう思われるかではなく
ただ、子ども達の未来のために
凸凹キッズの未来のために
今を一所懸命生きるんだってこと。
子ども達が発達障がいだったとしても
私は私を諦めない!絶対に幸せになるんだ♪
情熱と愛に火をつけてくれたのは紛れもない息子達なのです。
あのとき、心理士さんが言われたギフトの意味
16年の時を経てようやく受け取れるようになりました。