今日は、
ママのわが子への愛と、
お子さんのママへの愛が
ママのわが子への愛と、
お子さんのママへの愛が
そっと通い合う瞬間に
立ち会えた
とても嬉しい日でした。
立ち会えた
とても嬉しい日でした。
「私の時間は全部、
子どものための時間」
そう感じる瞬間は確かに幸せです。
でも、
うまくいかない日が続くと、
うまくいかない日が続くと、
“子育てのすべてを
背負っているのは私だけ?”
そんな気持ちになってしまう。
背負っているのは私だけ?”
そんな気持ちになってしまう。
あなたには、
そんな経験はありませんか?
私はあります。
そんな経験はありませんか?
私はあります。
今日セミナーに
参加してくれたAさんも、
まさにその真っ只中にいました。
参加してくれたAさんも、
まさにその真っ只中にいました。
Aさんは、毎日1時間
小2の娘さんの宿題に
ずっと付き添い、
小2の娘さんの宿題に
ずっと付き添い、
その後に15分だけ、
おままごと遊び。
下の弟くんたちがいる中で、
その時間を確保するだけでも大変。
その時間を確保するだけでも大変。
「この1時間、無駄なのかな…」
と自問しながらも、
続けていました。
と自問しながらも、
続けていました。
なぜそこまで頑張っていたのか?
それは、
“授業に遅れないようにしてあげたい”
“先生から言われたことを守らなきゃ”
という強い責任感から。
そして娘さんは、
算数が苦手にもかかわらず、
宿題タイムを嫌がらなかった。
算数が苦手にもかかわらず、
宿題タイムを嫌がらなかった。
その理由をAさんは、
ずっと勘違いしていたのです。
ずっと勘違いしていたのです。
娘さんが、
宿題を文句ひとつ言わずに
宿題を文句ひとつ言わずに
続けていたのは――
ただただ、
「ママと二人だけの時間を
過ごしたかったから」。
それだけだったのです。
過ごしたかったから」。
それだけだったのです。
そしてもう一つ、
娘さんの胸の奥には
娘さんの胸の奥には
きっとこんな想いがありました。
“ママを困らせたくない。
ママが喜んでくれるなら、
ママが喜んでくれるなら、
少し頑張れる。”
幼い子が、
本当にしてほしいことを
本当にしてほしいことを
言葉にできないまま、
精いっぱいの方法で
“ママへの愛” を
表現していたのです。
“ママへの愛” を
表現していたのです。
宿題をがんばる姿は、
「ママが喜ぶ顔が見たい」
「ママとつながっていたい」
「ママが喜ぶ顔が見たい」
「ママとつながっていたい」
その純粋な気持ちの表れでした。
この事実に気づいた瞬間、
Aさんの目から涙があふれました。
Aさんの目から涙があふれました。
「私は“子どものため”と
思っていたけれど、
娘にとっては
『ママと過ごしたい大切な時間』
だったんですね…。
いやな宿題をやってでも、
私とふたりで
過ごしたかったなんて…。」
親子の「想いの量」は同じ。
でも、 “想いの中身” には
でも、 “想いの中身” には
気づかないズレがある。
このズレが大きくなるほど、
「どうしてわかってくれないの?」
というすれ違いが増えていきます。
「どうしてわかってくれないの?」
というすれ違いが増えていきます。
今日Aさんが勇気を出して
セミナーに来てくださったことで、
そのズレはスッと溶けていきました。
セミナーに来てくださったことで、
そのズレはスッと溶けていきました。
本当に参加していただいてよかった。
心からそう思います。
心からそう思います。


