発達グレーゾーンの息子が不登校になる前に学校に見切りをつけた!?その決意に至る母の葛藤 ~Part1~

普通学級に通う発達グレーゾーンの子をもつお母さん!学校は思うような対応や配慮をしてくれていますか?15年前、診断がないことを理由に学校に対応してもらえず、不登校になる前に学校に見切りをつけたママがいます!その決意に至るまでを振り返ってもらいました。
 

【目次】

 

1.発達グレーゾーンのお子さんの学校での困りごとどうしてる!?

 
 
皆さんのお子さんは、学校での困りごとどうされていますか?
 
 
学校はあなたのお子さんに合うような対応をしてくれていますか?
 
 
私たち親は、子どもに合わせた対応や配慮をしてもらえることを望みますが、なかなか難しいですよね。 学校によって対応してもらえること、もらえないことも様々です。
 
 
筆者の息子は、不登校傾向にあります。はじめて登校しぶりがあった小学校1年生の3学期から今まで、3年が経過しました。 この3年の間には、いろいろなことがありました。
 
 
もちろん、校長先生や教頭先生、特別支援コーディネーターの先生、担任の先生などを含め話す機会もありました。
 
 
息子は、不安が強く過敏で学校にいるだけでとても疲れてしまうタイプなので、学校に安心できる場所が必要だと思いました。
 
 
保健室登校はできるのか?
 
図書館や空き教室など、自由に落ち着ける場所として使用することは可能なのか?
 
学校に安心できる場所があるのか、作れるのか?
 
そして一体、どの程度まで配慮してもらえるのか…?
 
 
授業中などのクラス内での配慮は担任の先生の力量次第という感じでした。
 
 
保健室や図書館を使わせてもらうなど、教室外でのことは、「責任がとれない、教師の人数不足、他の生徒もいるので…」などの理由で配慮はしてもらうことはできませんでした。
 
 
「マンモス校だから仕方ないのかな」
「学校を変わったほうがいいのかな」
 
 
と考えた時期もありました。
 
 
このように、学校とのやりとり取りをする中で、
 
「この学校は自分の子どもには合わないかもしれない…配慮してもらえないな」
 
などと思ったことがある方は少なくないと思います。 かといって、学校を転校するということも相当な決意がいると思います。
 
 
一般的には多くの場合、小学校は地元の公立に行かせると思います。 そして、卒業して地元の中学へ…というふうに、子どもの進路を漠然と思い描いているでしょう。
 
 
転勤以外で学校を変わるのは…容易にできることではないかもしれません。
 
 
そんなとき、15年前に小学4年時の担任の先生に困りごとの対応をしてもらえなかったことをきっかけに、学校に見切りをつけ、やめる決断に至った親子(Iさん)のことを知りました。
 
 
今でこそ、発達に凸凹がある子どもたちやグレーゾーンの子どもたちについても研究がなされてきました。
 
 
特性により学校に行きにくい子どもがいることなど、ニュースなどでも大きく取り上げられる時代になり、不登校も特に珍しいことではなくなりました。
 
 
しかし、当時は転勤以外で学校を変わるということは、まだまだ珍しいことで、身内を含め周りからの反対などかなり労力がいることだったと思います。
 
 
そんな中で、学校に見切りをつけたⅠさん。
 
 
学校との関係によほどの不信感があったのでしょうか?
 
 
息子さんの困りごとがあまりにもひどく、学校もお手上げ状態だったのでしょうか?
 
 
わたしも、息子のことで、学校を変わったほうがいいのかな?という気持ちにはなったものの、先のことを考えると躊躇してしまい不満はあっても学校をやめるという決断には踏み切れませんでした。
 
 
今いる学校の中でいかに過ごしやすくするか?どうしたら少しでも息子が学校にいることが辛くないのか…くらいしか考えられませんでした。
 
 
 
 
なので、Ⅰさんに当時の話をぜひ、聞いてみたいと思いました。
 
 
Ⅰさんの息子さんは、現在25歳のイベント企画会社勤務で、親元離れて生き生きと暮らしておられるそうです。
 
 
そんなⅠさん親子がなぜ、学校をやめる決断に至ったのか、そして学校をやめた後どのように過ごしたのか…当時の状況を振り返っていただきました。
 
 
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2.子どもの可能性を生かすも殺すも大人次第!?

 
 

ーーーどんな感じの息子さんでしたか?

 
 
「小さい頃は、言葉は、ちょっと遅いかな?と思っていました。手先も少し不器用な感じでした。
 
息子は、とてもユニークな子でとっても面白い子どもだったと思います。天真爛漫な感じでいわゆる子どもらしい子どもといった感じで、私はそんな息子をかわいいなと思っていました。
 
小学校に入るまではわからなかったですが、勉強では「読み書きの困難」があったと思います。本読みは苦手で、書くときには筆圧が定まらないなどありました。
 
リコーダーや鍵盤ハーモニカも苦手でした。楽譜も読めませんでした。
 
行動面では、思いついたらすぐに行動してしまうことがありました。
 
小学3年生までは、担任の先生と信頼関係も築けていて、息子のこともよく理解してもらっていたので、「できないこともあるけど、かわいい子ですよね」という共通認識もあり、特にとりたてて何も言われることもありませんでした。
 
 『不器用なところもあるけど、まあ楽しくやっているのかな。子どもが楽しいのが一番!』と思って当時は何も心配してなかったです。
 
 
 
 
 でも、この私の楽観的な見方によって、子どもが抱える特性の中で、困難な部分を見つけるのが遅れたのではないか…と今となっては思っています。」
 
 
 ◆ポイント解説
 
 
 小学校低学年の間は、特に担任の先生の力量が問われるところです。
 
 
 子どもは、大人の関わり方、先生の関わり方次第で、落ち着いたり情緒不安定になるなどまったく様子が変わってきます。
 
 
 また、担任の先生とお母さんとのコミュニケーションがうまく図れ、信頼関係が築けていると、家庭での様子や学校での様子もお互い伝え合うことができ、より子どもを温かい目で見守っていくこともできます。そのため、子どもも安心して落ち着いて過ごすことができるのです。
 
 
 発達凸凹や発達グレーゾーンなどちょっと気になるお子さんの場合は、特に担任の先生との連携が大切になってきます。
 
 
 Iさんは、当時を振り返り、自分の楽観的な見方が子どもの抱える特性の中で、困難な部分を見つけるのが遅れたのではないかと話していますが、私はそうは思いません。
 
 
 楽観的な見方だったからこそ、息子さんは家で、叱られることなくのびのびと幼少期を過ごすことができ、自信を無くすこともなく自己肯定感を育んでいけたのではないかと思います。
 
 
 小学3年生までは、穏やかに過ごせていたIさんのお子さん。小学校4年生になってから穏やかな生活が崩れてきました。
 
 
 一体、どうしたのでしょうか? そして、Ⅰさんは、決断しました。
 
 
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3.子どもの可能性の芽を摘むしつけ教育~不登校になる前に学校に見切りをつけた最大の理由とは~

 
 

ーーー小学校4年生の担任の先生はどんな感じだったのですか?困りごとを理解してもらえなかったとはどういうことですか?

 
 
 「小学校4年生になったある日の連絡帳に、『息子さんは何もできません』と書かれていて、それは、衝撃でした。
 
 いくらできてないにしても連絡帳にそんなことを書くということが信じられませんでした。そして『ふざけていて何もしません』とも言われたんです。
 
 先生は、優等生のような生徒を好きな先生だったんだと思います。今思うと、息子とも私とも相性は合ってなかったと思いますね。
 
 宿題も多く出すことで有名な先生でした。
 
 授業でやった課題やプリントは、時間内にできていなければ、その日の宿題になります。 そして、さらにそれ以外に毎日宿題を出されます。
 
 宿題を忘れるとクラスの全体責任ということでクラス全員の宿題が、ひとつ増やされるんです。もちろん息子だけではなくて、ほかの子が忘れても同じです。
 
 だから、宿題を忘れることが多くなると、クラスの子に責められるようになるんです。
 
 責められるのも嫌なので、息子は学校でも頑張っているのに家でも必死で宿題をしていました。 今思うと、おかしいことですが、その時のわたしは『宿題をやらせなければならない!』 と必死でした。
 
 当時の手帳をみると、『息子が宿題したくない』と言ったとき、『ちょっと外の空気を吸いに散歩でもいこう!』と散歩に誘いマンションの周りを息子と散歩してそのあと、『また宿題しようね…』といって宿題を終わらせるために親子で頑張っていたことが記録に残っていました。
 
 息子は、ほんとに辛かっただろうなと思います。」
 
 

ーーーその頃の息子さんの様子はどんな感じでしたか?「学校に行きたくない」など言われませんでしたか?

 
 
「そうですね・・・宿題以外にも、先生の指導は厳しく、子どもも学校で注意ばかり受けるためだんだん元気がなくなっていたんじゃないかなと思います。でも学校には行っていました。
 
 『行きたくないなあ…』くらいはあったかと思いますが、『行かない』という選択は息子にはなかったように思います。
 
 そのころ、息子の発達に何かあるんじゃないかなと初めて思うようになりました。 そして、いろいろ調べ始めました。」
 
 

ーーー先生に配慮を求めましたか?

 
 
「先生に、授業や宿題などについて配慮を求めましたが、『は?』という感じで取り合ってもらえませんでした。
 
 『発達障害の診断でもあれば仕方ないですけど、何もなければ特別扱いはしません!』とも言われ、なかなか通じ合うことができませんでした。
 
 発達障害と診断がなくても、学校で簡単にできる工夫はたくさんあると思うんです。
 
 読み書きの困難がある子はプリントを大きくするとか、一枚のプリントに一問ずつにしてもらう。 板書が苦手な子は黒板の全てでなく、重要な箇所だけ、先生に赤で囲んでもらいそこだけ写す。 集中が途切れがちな子は、肩をチョンと合図するなどなど…。
 
 私が先生と話をする中で、どうにも理解しあえず信頼関係が築けなかった事が一番にあり、そこから、そんな学校で、毎日時間を過ごす子どもは、どんなに辛いだろうかと思いました。
 
 診断がないと対応してもらえないなら、検査して結果、発達障害と言われたほうがいいんじゃないかな?とさえ思うようにもなりました。
 
 校長先生とも話をしてみましたが『文科省では…』などと話をされ、まったく取り合ってもらえませんでした。
 
 先生たちは、子どもたちをみていない、上ばかりみていると感じ、ショックを受けたことを覚えています。」
 
 

ーーーそれは、とても辛かったですね・・・。発達検査は受けられたのですか?

 
 
「発達検査受けましたが、グレーゾーンということでした。診断はつかなかったんです。
 
 診断のあるなし関係なく、息子には、困りごとがあるのだから、やっぱりそれは学校側には配慮してもらいたかったです。でもなかなかうまくいきませんでした。
 
 これから、毎年毎年、子どもの困りごとについて先生たちに話をし、理解を求め、対応をお願いする時間や労力が、とても無駄なように思えてきました。 そして、そんなことなら、息子に合う学校を探してそこに行ったほうが近道のように感じました。
 
 子どもはその間にも、どんどん成長していくのに、そこに注ぐエネルギーが無駄になると感じました。それならそのエネルギーを別のところに使った方が有効だと思ったんです。
 
 そして、子どもの貴重な時間を無駄にできないとの思いから、ほかに学びの場所を求めるようになりました。」
 
 
 ◆ポイント解説
 
 
 Ⅰさんのお話を聞き、胸が締め付けられるような思いがしました。
 
 
本当に、辛かっただろうと思います。 
 
 
 しつけは、できないことに注目し、指摘や注意することでその行動を改善させようとするものです。 先生は、しつけと称して、厳しく教育し自分の期待する子どもにしようと思っていたのでしょう…。
 
 
 それは子どもの可能性の芽を摘むことになっていたのではないでしょうか?
 
 
 発達科学コミュニケーションではできていることに注目し、今できていることを褒め、認めることをすすめています。 その積み重ねが、子どもの可能性を伸ばすことにもなり、自己肯定感を育むために大切なことなのです。
 
 
 Iさんは、どうしても学校と理解しあえず信頼関係が築けなかったこと、そして、学校は子どもたちをみていないことが学校に見切りをつけた最大の原因だと話されています。
 
 
 そして、通っていた発達支援教室で偶然に聞いた、デンマークの学校をモデルにした得意なことを伸ばす教育方針のフリースクールに通うことを考え始めました。
 
 
 4年生の夏休みに、その学校のサマースクールに参加して、学校見学、説明会に参加して本人が「行きたい」と決めたそうです。
 
 
 
 
 この得意なことを伸ばすフリースクールとは、どんな学校だったのでしょうか?
 
 
 Part2では、地元の小学校に行かない決断をし、フリースクールにいったⅠさんの息子さんがどのように変わっていたか、そしてお母さんの心境の変化や子育ての軸などをレポートします!
 
 
 
 
 お楽しみに!
 
 
どんなに頑張っても学校が合わないならやめていい!お母さんに決断力が身につきます!

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執筆者:愛川 まいこ
(発達科学コミュニケーションリサーチャー)
 
 
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