私はかつて分離不安症でした。過去を思い返すと学校に行けなかったことなどたくさんの苦しい思い出もあります。しかし、私は分離不安だったことを不幸だとは一切思っていません。母子分離不安だった経験を振り返り、大人になった今だからこそ伝えられること。シリーズでお伝えしていきたいと思っております。シリーズ2は私が学校にいけるようになった記録です。
1.先の見えない子どもの学校問題に疲れ果てていませんか?
✔️小学生になってもママべったりがひどく、一緒に母子登校をしている。
✔️これからもずっと母子登校は続くの?
✔️いつになったら、我が子はみんなと同じように小学校に通えるようになるのだろう。
毎日の母子登校、そして行き渋りの対応は母親にとって、大変苦しいものです。
小学校に慣れたら、一人で行けるようになると思っていたのに、一向にその気配が見えない…。
先の見えない子どもの学校問題に正直疲れ果ててしまっていませんか?
もしかしたら、子どもが学校に行けないことで、仕事をやめてしまったママもいるかもしれませんね。
シリーズでお伝えしています【大人になった分離不安っ子だから伝えられること】
2回目の今回は「母子分離不安っ子が一人で学校に行けるようになった記録」について執筆しました。
分離不安の記憶が鮮明に残っている私だから伝えられることがある。
そして母親になった今だからこそ、伝えられることがあると思っています。
どのようなきっかけで子どもが「学校が楽しい!」と思えるようになるのか。私の過去の経験談をお伝えすることで、今、母子登校や登校しぶりで困っているママのお力になれたら幸いです。
2.「ママといたい」とは別に学校に行けない理由があった
シリーズ1でもお伝えした通り、小学校2年生までずっと登校拒否をしていました。
【シリーズ1:シリーズ1 幼少期の記憶 を執筆した記事はこちら】
その要因は、ママから離れたくないが第一。
しかし、その他にも行きたくない理由が鮮明に私にはありました。
小学2年生まで先生が大嫌いだったことです。
特に2年生の頃の先生は、いつもイライラしているヒステリックな女の先生でした。
大人の前でいい子を演じる子をすぐひいきする先生でした。
ひいきされる子は裏ではいじめっ子。
いろんな嫌がらせをされたのを今でも鮮明に覚えています。(どの場所でどんなことをされたかを30年以上たった今でも覚えているんですよ…)
私は学校で理不尽な出来事があると、必ず安心する大人に会いたくなる=ママに会いたくなっていました。
分離不安っ子は、ただママに会いたくて苦しんでいることもありますが苦しい思いをしたから、ママに会いたくなるということもあるのです。
ママはどんなことがあっても自分の味方。自分の安全基地。
嫌なことや自分に危機が迫った時、安心基地である親の場所へ逃げたくなるというのは、人間の持って生まれた本能です。全然恥ずかしいことでも、悪いことではありません。
だけど、私は敏感で繊細な子だったので、私がなぜ学校に行きたくないのか本当の理由を親に話すことができませんでした。
先生や友達のことを親に告げ口してしまうと、厳格で喧嘩っ早い父が学校に怒鳴り込んでトラブルになってしまう幼い子どもなりに心配したからです。
ですので、私は学校に行きたくない理由をずっと「算数が苦手だから」と伝えていました。
3.母子分離不安だった私が学校に行けるようになったきっかけは…。
ずっと登校拒否を続けていた私ですが…
小学校3年生へ進級するタイミングで学校に楽しく通えるようになりました。
きっかけは、先生と友達との出会い。
小学校3年生の時の先生は、とても穏やかでギターを上手に弾いて歌ってくれる男の先生でした。(今でもその先生がギターを弾いて歌ってくれた歌を覚えています。)
とても穏やかな先生で、怒鳴ったり、イライラしたりする様子を一度も見たことはありませんでした。先生はいつも子どもたちのことを笑顔で見守り、肯定の態度をとってくれていました。
先生の顔色を伺わなくて済む。
それだけで私は学校で安心して過ごすことができるようになりました。
また幸いにも、友達にも恵まれました。
超ネガティブ思考で、できれば人と関わりたくなかった私が小学校3年生で出会ったのは、超ポジティブキャラのとてもユニークな明るい女の子でした。
超ポジティブキャラの友達と親友になったことで、私の人生が180度変わりました。
小学校3年生、安心できる先生とポジティブ思考の友達との出会いで、私はポジティブ思考の明るい活発な女の子へ大変身したのでした。
4.学校に行けない分離不安の子どもを育てているママへ。大人になった分離不安っ子からのアドバイス
分離不安だった私だから伝えることができる!
今現在、分離不安の子どもを育てているママへ大切なアドバイスがあります。
◆学校の人的環境について考える
今、お子さんが通っている学校はお子さんの特性について理解がある学校ですか?
お子さんの担任は、威圧的な態度をとる先生ではないですか?
敏感な子、繊細な子、不安が強い子に限らず、子どもにとって人的環境は子どもの行動に大きな影響を及ぼします。
私は、発達科学コミュニケーションを学び、母親が関わり方を変えていったことで、子どもの困りごとを解消することができた例をたくさん見てきました。
家庭よりも長い時間を過ごす学校で、近くにいる人との関わりは子どもにとって大きいのです。
学校を変える!先生を変える!なかなか難しいことではあると思いますが、微力ながらも子どものために母親ができることがあります。
まずは、学校の人的環境が子どもにどのような影響を及ぼしているかを知ること。
そして、もしその環境がネガティブな環境であるのではあれば、少しでも改善していけるように、先生や学校に働きかけていきましょう。
学校や先生へのアプローチ例はこちらの記事をご覧ください。
◆友達という安全基地を作る
友達はたくさん必要ありません。男の子でも女の子でも、大人でも、動物でも!
子どもが自分らしくいられるような友達を一人でもいいので作ってあげたいものです。
「大好きな」友達の影響は大きいです。
外遊びが嫌いな子でも「大好きな」友達がいると外遊びをし始めます。
勉強が嫌いな子でも「大好きな」友達と一緒だと宿題を自主的にします。
ママべったりの子どもが「大好きな」友達とだと、一人で遊べるようにもなります。
友達は学校の友達じゃなくても構いません。
フリースクールや支援センターでの関わりでもいいでしょうし、遠く離れた外国の友達とオンランで!なんてことも。今の時代では可能ですよね!
犬との散歩も素敵な友達との時間と言えます(笑)!
友達との関わりを苦手とするお子さんには、決して無理強いはしてほしくないのですが、友達作りのきっかけを作り出せるような母親の配慮があれば、子どもは一歩を踏み出しやすくなります。
例えば、初めはママも一緒にお友達と遊んでみる、共通の趣味が語り合えるような場に連れて行ってあげるなど…。無理強いせず、お子さんのペースで進めていきましょう。
最後に…学校が全てではない。このことを覚えていてください。
母親である私たちが育った時代と大きく世の中は変わっています。
子どもたちの居場所は学校だけではないんです。
今学校に行けなくて悩んでいる方がいたら、「学校はいくべき」という固定概念を一旦取っ払って、お子さんがお子さんらしくいることができる居場所を見つけていきましょう。
フリースタイル登校についてはこちらの記事を参考にされてくださいね!
シリーズ3は
【「好き」が開花した母子分離不安っ子の思春期】についてお伝えします。
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