さて今日は
「子どもとの今年の夏は、
もう二度と来ないから…」
というお話です。
夏休みも、残りわずか。
ここ最近、私は 仕事の途中で、
パソコンを「パタン」と閉じます。
仕事が全部終わったからではありません。
まだ、やろうと思えば
いくらでもできることはあります。
※大好きな仕事、
やろうと思えばどこまででもできます。
メルマガも書きたい。
企画も考えたい。
あたらしい小冊子も書きたい。
以前の私なら、
「ここまで終わらせてから」 と、
もう少し、もう少しと
仕事を続けていたと思います。
だけど最近は、
「ここまで」 と潔く終わるんです。
なぜなら朝から、
残りの夏休みを、
子どもたちとどんなふうに
過ごしたいか を決めたから。
夏休みは毎年来るけれど、
今年のこの年齢の子どもたちと
過ごせる夏は、
もう二度と来ない。
そう思ったら、 いつもなら
「やらなきゃ」と思っていた仕事にも、
「これは今日じゃなくていい」
「ここは仲間に任せよう」
「今日はここまでにしよう」 と、
優先順位をつけられました。
不思議ですよね。
時間が増えたわけじゃない。
やることが減ったわけでもない。
変わったのは、
「何をやるか」より先に、
「私はどう生きたい?」を
決めたことでした。

実は最近、 息子のある言葉に
私はとても心を動かされました。
「誰にも忖度せず、
自分の人生を決める、
それだけは決めている」
その言葉を聞いたとき、
「ああ、私もそうだ」 と思ったんです。
仕事に追われる。
家事に追われる。
子どもの予定に追われる。
目の前の 「やらなきゃ」を
片づけていたら、
気づけば一日が終わっている。
だけど、 それは私が望んでいる
人生じゃない。
私も、 自分の人生を
自分の意思で動かしたい。
だから今日、
パソコンを閉じられたことは、
単なる時間管理が成功したという話では
なかったんです。
私にとっては、
「追われる人生」から
「選ぶ人生」へ。
小さく舵を切った瞬間でした。
これは子育ても
同じなのかもしれません。
起立性調節障害や
不登校の子を育てていると、
「今日は起こした方がいい?」
「学校の話はする?」
「宿題は?」
「このまま見守っていて大丈夫?」
目の前のことに
心も時間も奪われてしまいます。
私もそうでした。
だけど、 今日の子どもを
なんとか動かすことだけに
追われていると、
本当は、
この子にどんな力を
育ててあげたかったんだろう?
という大切なゴールを
見失ってしまうことがあります。
時間ができたら、
それをするんじゃない。
子どもが動けるようになったら、
いい親子時間を過ごすんじゃない。
大切にしたいものを先に決めるから、
今日の選択が変わり始める。
残り少ない今年の夏休み。
全部できなくてもいい。
宿題が終わることより、
学校へ行く準備を整えることより、
今日だからこそ残せる
親子の時間があるかもしれません。
だから私は今日も決めた時間に、
パソコンをパタンと閉じます。
そして、
「今日、どんな時間を一緒に過ごそうか」
そこから私の時間を
選んでみようと思います。
※ちなみに昨夜は
長女とヒューマンテトリスで
盛り上がりました!
自分の人生の方向を決めるのは、
いつだって自分だから。
子どもの人生を
自分で選べる子に育てたいのなら、
まず私自身が、
「やらなきゃ」に人生を明け渡さず、
私は何を大切にしたい?
と、自分に問いながら生きていたい。
息子が言った、
「誰にも忖度せず、
自分の人生を決めたい」
という言葉。
あれはもしかすると、
息子から私への
メッセージでもあったのかもしれません。
今年の夏は、
今年しかない。
そして、
今日のこの子も、
今日しかいない。
「いつか大切にする」ではなく、
今日、今この瞬間に大切にする。
そんなふうに、
追われる人生ではなく、
選ぶ人生を、
私は子どもたちと一緒に
つくっていきたいと思います。
今日はここまでです。


