今日はゲームに没頭していた
息子のお話です。
「わが子の才能を伸ばしたい」
という思いはあっても、
かつての私は、
その才能を一番邪魔していた親でした。
という思いはあっても、
かつての私は、
その才能を一番邪魔していた親でした。
実は、わが家の娘も息子も、
私から見れば「ゲームばかり」の
動かない子でした。
動かない子でした。
私は以前、時間制限をつけたり、
ルールを作ったり
ルールを作ったり
あの手この手で
「ゲームをやめさせよう」と
もがいていました。
もがいていました。
特に息子は、私が設定したパスワードも簡単に破って、
こっそりゲームを楽しんでいたんです。
こっそりゲームを楽しんでいたんです。
パスワードを破ってまでゲームをするのは
結局息子と一緒に考えたようで
私がやってほしい時間制限などの
ルールを押し付けていただけで
ルールを押し付けていただけで
納得していなかったからでしょう。
当時の私は
賢く理屈っぽい息子に
反発されるたびに
賢く理屈っぽい息子に
反発されるたびに
「親に向かってなんなの?生意気!」
と、言うことを聞かない息子に
イライラが抑えられず
親子関係はギクシャク。
イライラが抑えられず
親子関係はギクシャク。
次第に私は
「この子にはどうせ言ってもムダ」
「めんどくさい息子とは話したくない」
と息子に距離を置くようになっていきました。
その後、娘を通して発コミュを学び、
この息子にも
「発達特性」があると気がついた私は、
「発達特性」があると気がついた私は、
捉え方を根底から変えました。
以前、私が彼に抱いていた
ネガティブなイメージは、
ネガティブなイメージは、
捉え方でこんなに変わりました。
こだわりが強くて頑固で…
→意志を曲げない、やり抜く力がある
敏感でめんどくさい子…
→感受性豊かで賢い
目立ちたがりで、すぐ調子に乗る…
→自分を発奮させられるエネルギーが高い
わがままで親に要求ばかりする…
→好奇心旺盛で意欲的
<行動で脳を伸ばした息子の成長>
興味があることには
なんでも首を突っ込みたがる子だけど
敏感なところがあって疲れやすいタイプ。
なんでも首を突っ込みたがる子だけど
敏感なところがあって疲れやすいタイプ。
疲れると癇癪を起こしがちなので、
疲れるような余計なことをしないで、
私はとにかく静かに過ごして欲しかったのです。
疲れるような余計なことをしないで、
私はとにかく静かに過ごして欲しかったのです。
だから、先回りして
なるべく行動を止める方が多かったです。
そう言う意味では、色々やりすぎより
ゲームをやってるのは私が楽です。
ゲームをやってるのは私が楽です。
だけども、発コミュを学び
「行動すると脳が伸びる」ということを知ったので
もうやりたいことはできる限り
「なんでも許可してやらせよう」
と腹を決めました。
「なんでも許可してやらせよう」
と腹を決めました。
捉え方を変え、過干渉をやめたことで、
中学生以降の息子は驚くほど行動しながら成長し、
自分の中に成功体験を作っていきました。
中学生以降の息子は驚くほど行動しながら成長し、
自分の中に成功体験を作っていきました。
例えば、こんなことがありました。
・「陸上の力試し」をしたくて、
20kmの道のりを走り切る
・音楽経験もゼロだけどモテたいために
キーボードをやりたがる。
そしてその後ギターに興味が移り
YouTube動画で独学で
ギターが弾けるようになる
・「外国に行ってみたい!」という
好奇心から、公募に応募し
県のメンバーに選ばれタイへ短期留学
・九州から一人で以前住んでいた
千葉の友達に会いに一人旅
・部活の遠征の帰りに
ヒッチハイクで帰宅(驚)
好奇心と冒険心をそのままに
行動をするので、
正直無鉄砲で、そんなことやらないで!ってこともあります。
行動をするので、
正直無鉄砲で、そんなことやらないで!ってこともあります。
そして結構な失敗もありますが、
失敗を経験にして
逞しく成長していく姿を見て、
失敗を経験にして
逞しく成長していく姿を見て、
心配性な私が「どうにかなる」
と思えるように鍛えられてきました。
行動をたくさんして
成功体験を積み重ねていった
ゲーム大好きな息子は
「ゲームやめなさい」
「勉強しなさい」
なんて一言も言わなくても
自分からゲームをやめるし
勝手に勉強も頑張る子になりました。
そして、あんなに反抗的で
わがままで生意気な子が
「お母さんが俺のお母さんでよかった」
と言ってくれるようになり
家事の手伝いもしてくれるようになり
妹にも優しくなりました。
その問題、本当に「ゲーム・YouTube」が原因ですか?
多くの方が、
お子さんの動けない問題を
お子さんの動けない問題を
「ゲームやYouTubeの中毒性」に
すり替えて、禁止すべきか、
制限すべきかの議論に終始しがちです。
すり替えて、禁止すべきか、
制限すべきかの議論に終始しがちです。
ゲームやYouTubeのせいで
勉強時間がなくなるから
勉強時間がなくなるから
勉強に取りかかれないのでしょうか?
学校に行かないと言い出すのでしょうか?
本当にそうでしょうか?
ゲームやYouTubeの本質的な問題は、
「興味や強みを見つけられる分野が
学校にない子はどうすればいいか?」
という点にあります。
学校にない子はどうすればいいか?」
という点にあります。
学校や日常生活で
自分の興味や強みを見つけられない子は、
自分の興味や強みを見つけられない子は、
自分が勝てるもの、自分が楽しいもの、
自分が没頭できるものを
自然と探し始めます。
自然と探し始めます。
その結果、たまたま目の前にあった
ゲームやYouTubeに夢中になっている
だけかもしれないのです。
ゲームやYouTubeに夢中になっている
だけかもしれないのです。
子どもが世界とつながるツールは、
もはや昔と変わっています。
もはや昔と変わっています。
ITというツールを通して、子どもたちは自分の知らない世界を探し、
覗いてみたいと感じています。
覗いてみたいと感じています。
もし、その画面の中に「面白い世界」がいっぱい広がっていて、
ついつい没頭してしまうとしたら、
ついつい没頭してしまうとしたら、
それは「好奇心と探究心の現れ」なのです。
私たちが考えるべきは、
「ゲームをする・しない」の
議論を続けることではありません。
子どもがやりたい!と言ったことを
お金がない、暇がない、付き合えない
くだらない、無駄だ、など
様々な理由で頭ごなしに否定していませんか?
やりたいことがあっても
「やりたい!」と言った時に
否定されたら
否定されたら
もうこの人にやりたいって言わない、
って思いますよね。
って思いますよね。
親子の会話が成立していないのは
ゲームやYouTubeが悪いのではありません。
もっと根本的に、
ゲームやYouTubeに没頭する理由を知り大人がどう向き合うか。
ゲームやYouTubeに没頭する理由を知り大人がどう向き合うか。
親がお子さんの特性をどう捉え、
どれだけ安心安全の土台を築けるかが、その子の才能を伸ばす鍵になります。
どれだけ安心安全の土台を築けるかが、その子の才能を伸ばす鍵になります。

