我が家の息子は、今でこそ小学校に通えるようになっていますが、1歳半から小2までずっと「どう育てればいいんだろう?」という葛藤の中にいました。この記事では、私たち親子が経験した実際のエピソードを通して、「診断よりも大切な“気づき”」がどこにあったのか、赤裸々にお話しします。 |
言葉が出ない不安と、育児の“違和感”
1歳半健診で「1語も話さない」息子。
発達障害という言葉を避けたくて検索を控えた日々。
ようやく言葉が出始めても、集団の中では浮いて見えた息子。
・距離感が近すぎる
・力加減がわからない
・おもちゃの貸し借りができない
付き添いなしでは過ごせない状況に、他のママとの違いをひしひしと感じていました。
そして初めて「地域の発達相談」を受けたとき。
先生から「自閉症スペクトラムに当てはまる要素があるね」と言われた瞬間、正直頭が真っ白になったのを覚えています。
でも、ここで私の中にひとつの希望が生まれました。
「早く気づけたなら、きっと変われる」
療育を始めたのに、報告は“想像以上に深刻”だった
療育センターでのOT(作業療法)、ST(言語聴覚療法)に通い始め、幼稚園とも連携を取りました。
「これで落ち着いていくはず」
そんな期待も束の間、次々と届く幼稚園からの報告。
・暴れる
・物を投げる
・集団に馴染めない
療育で得たアドバイスも「スモールステップで様子を見ましょう」という抽象的なものばかりで、正直“どうしたらいいのか”わからない。
親として、子どもの未来に不安しかありませんでした。
小学校入学で爆発した“わからなさ”
小学校は普通級で入学。
規模の小さい学校だったので1クラスが少人数でした。
なんとかなるだろう…と思ったのも束の間。
1年生になってからの勉強としつけのプレッシャーに、息子は完全に疲弊。
登校しぶりが始まり、私は毎日付き添い登校。
教室の後ろで1日中過ごす「母子登校」が続きました。
そのときの私の頭の中は「このままでいいのか?」「何が正解なのか?」の繰り返し。
学校も療育も“スモールステップ”としか言ってくれない。
教わったことがうまくいく時もありましたが、日々変わるシチュエーションに追いつかない。
次の相談の時には困りごとも変わっていて、対応に迷いが出ることも多く、不安が消えませんでした。
相談しても答えが出ない理由にようやく気づいた瞬間
やはり、「私が知らなすぎるのかもしれない」と思い、知る怖さもありながら、情報収集を始めました。
そして出会ったのが、「発達科学コミュニケーション」でした。
脳科学・心理学・教育学をもとに、お母さんの声かけで我が子の発達を加速させることができる方法です。コンセプトはお母さんが“我が子の専門家”になるというもの。
そのとき、「あぁ、私でもできることがある」と腹落ちしたんです。
息子に必要なのは、“正しい対応”ではなく、“息子に合った関わり方”。
それに気づいた瞬間、ようやく霧が晴れていきました。
次回の記事では、そこからどうやって私と息子が変わっていったのかを詳しくお話ししますね。
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執筆者:渡辺あきこ
(発達科学コミュニケーショントレーナー)
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