子どもを変えたい!と必死だったあの頃


実は今日から、
発コミュトレーナーの仲間たちと
ダイビングをしに石垣島に来ています!

青い海に潜って、
自然の中で自分を解放し、
新たな自分に出逢う!!

これまでの人生では
考えられなかったような経験を
今、仲間と一緒にしています。

 

ですが、
そんな私も、数年前までは、
ただ毎日を生き抜くことで
精一杯のママでした。

今日は、
その頃の私の本音を
お話しさせてください。

(▼母子登校をしていた頃の私)

あの頃の私は毎日こう思っていました。

「どうしてこの子は、わかってくれないの?」
「なんで、こんなにすぐ怒るの?」
「私の言うこと、なんで聞けないの?」

朝から晩まで怒ってばかり。
夜には子どもの寝顔に
「ゴメンね」と自己嫌悪の日々。

何度言っても、
言うことを聞かない子どもを
「変えなきゃ!」と思い、

育児本を読みあさったり、
子育て教室に通ったり、
ネットで情報を調べたり…。

『ちゃんとしたお母さん』
にならないといけない!
とにかく毎日が必死でした。

周りの目ばかりを気にし、
とにかく“ねばならない”に
がんじがらめの日々でした。

だけど本当は、
そんな自分が苦しかった。

誰にも弱音を吐けず、
ひとりで頑張り続けていた自分が、
本当はすごく辛かった。

「ママがしっかりしなきゃ」
「ちゃんと育てなきゃ」
「ちゃんとしけないと」

そんな言葉が、
いつも私を苦しめていました。

それでもどこか、
私さえ頑張れは、うまくいく。
と信じていたんです。

だけど、
頑張っても、頑張っても、
うまくいかない子育て。

大きくなれば、
よくなると思っていたのに、
小学校にあげれば、
もっと困りごとは増えていく。

そして、
私も子どもも、
心も身体も限界に・・・

涙が止まらなくなり、
ついに動けなくなってしまいました。

動けなくなってしまったのは、
「子育てがうまくいかないこと」
ではなくて、

自分のことを何1つ
認められなくなっていたことが、
1番辛かったんだと思います。

だけど、
そんな“壊れかけた私”がいたからこそ
出逢えたものがあります。

それが、
『発達科学コミュニケーション』

──私が悪かったんじゃない。
──この子のせいでもない。

ただやり方を、
知らなかっただけ。

だったらやり方を知ればいい。


誰も責める必要なんてなかったんだ。

方法を知らなかっただけなんだ。

そう思ったとき、
出口の見えない真っ暗なトンネルに、
一筋の光が差し込めた瞬間を
今でも私ははっきりと覚えています、

「やり方があるなら、知りたい」
「この子の未来を、もう一度信じたい」

そこから、
私の挑戦が始まりました。

次回は、
私がどうやって“子どもとの関係”を変え、
そして“自分の人生”まで変えていったのか、
お話をしますね。

 

では、また明日!

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