嫌なことがあったり、思い通りにならないことがあると、
大声を上げる。
泣く。
暴言を吐く。
物に当たる。
手が出る。
そんな癇癪が続いていると、
「お願いだから、怒らないで落ち着いて」
「癇癪さえなくなれば、もっと穏やかに暮らせるのに」
と思いますよね。
私も以前は、とにかく目の前で起きている癇癪を早く落ち着かせることで頭がいっぱいでした。
けれど、癇癪が治まることと、子どもが自分で立て直せるようになることは同じではありません。
この記事では、癇癪だけを止めるのではなく、その先にある「自分で考え、選び、立て直せる力」を育てることの大切さについてお伝えします。
癇癪を早く終わらせることで頭がいっぱいだった
子どもが癇癪を起こすと、ママも何とか早く落ち着かせようとします。
できるだけ怒らせないように、先回りして気を遣う。
泣き止ませるために、なだめたり、細かく説明したりする。
時には、よくないと思いながらも要求を受け入れる。
荒れそうなことは、なるべく避ける。
そして子どもが静かになると、
「やっと終わった」
とホッとする。
けれど、次の日になると、また同じようなことで癇癪を起こす。
その場の癇癪が治まることと、子どもが自分で立て直せるようになったことは、同じではなかったんです。
癇癪は、困りごとの本体ではない
癇癪が起きている背景をたどっていくと、癇癪自体が困りごとの本体ではないことがあります。
子どもが、自分の中にあるネガティブな感情をうまくコントロールできずに苦しみ、助けを求めているサインかもしれません。
本当は、怒ったり、泣いたり、叩いたりすることがよくないと分かっている。
自分でも、こんなことはしたくない。
けれど、この気持ちをどう表現したらいいのか分からない。
思い通りにならない気持ちを、どう収めたらいいのか分からない。
自分の気持ちを、うまく言葉で表現できない。
注意されると、
「僕のことを否定された」
「分かってくれない」
と受け取ってしまう。
失敗したり、間違えたりした時に、
「僕はもうダメだ」
と感じ、気持ちを切り替えたり、次の行動を考えたりできない。
こうした力がまだ十分に育っていないため、泣く、怒る、暴れるという形で、気持ちがあふれてしまうことがあります。
癇癪だけを止めても、困りごとは形を変えることがある
癇癪だけを止めても、その奥にある力が育っていなければ、困りごとは違う形で現れることがあります。
たとえば、
- 気が向かないことに取りかかれない
- 間違えると全部投げ出す
- 注意されると暴言で返す
- 友達とうまく付き合えない
- 不安が強く、一歩を踏み出せない
- 「俺にはできない」「俺はバカだから」と自己否定する
という姿です。
目の前の癇癪が減ったとしても、子ども自身が、困った時にどうすればいいのかを知らないままなら、本当の意味で困りごとが解決したとは言えません。
本当に育てたい力は何でしょうか
ここで、一度考えてみてほしいことがあります。
私たちが本当に育ててあげたい力とは、何でしょうか。
泣かないこと。
怒らないこと。
人を困らせないこと。
言われた通りに動くこと。
もちろん、できるようになれば、毎日は楽になります。
けれど、本当に欲しいのは、それだけではないはずです。
思い通りにならない時にも、
「嫌だった」
「悲しかった」
と、自分の気持ちを言葉で伝えられる。
失敗した時にも、
「もうダメだ」
で終わるのではなく、
「次はどうしたらいいかな」
と落ち着いて考えられる。
不安があっても、
「これならできそう」
と一歩を踏み出せる。
うまくいかない場面があっても、自分の気持ちを整え、また立て直せる。
そんなふうに、自分で考え、自分で選び、自分で立て直せる子に育ってほしいのではないでしょうか。
私が本当に息子に手渡したかったもの
以前の私は、息子の癇癪をなくしたいと思っていました。
けれど、本当に欲しかったのは、私がそばにいなくても、息子が自分で困った状況を乗り越え、自分自身で未来を切り開いていく力でした。
友達と行き違いがあった時に、怒りや暴力ではなく、会話で解決できること。
間違いも受け入れ、自分を否定せずにやり直せること。
嫌なことにも、自分で気持ちを整えながら取り組めること。
自分のよいところを生かし、好きなことを突き詰めて、自分らしい人生を楽しめること。
その力があれば、これから先、学校生活や友達関係、勉強や仕事でうまくいかないことがあったとしても、自分で考えて進んでいけます。
癇癪を止めるためだけに、関わり方を学んだのではない
だから私は、息子の癇癪を止めるためだけに、関わり方を学んだのではありません。
これから先、私がそばにいない場面でも、
息子が自分で考え、
自分で選び、
失敗しても立て直し、
自分らしい人生を選んでいける力を手渡すために、
学ぶと決めました。
癇癪がなくなれば、ママの毎日は確かに楽になります。
けれど、癇癪がなくなることは、子育てのゴールではありません。
その先で、子どもがどんな力を身につけ、どんな人生を自分で選んでいけるようになるのか。
そこまで考えて初めて、今、どんな関わりを子どもに手渡したいのかが見えてきます。
癇癪の先にある成長を見ていく
癇癪をなくすことを、子育てのゴールにしますか?
それとも、癇癪のその先にある、
自分で考え、
選び、
立て直せる力を
育てていきますか?
目の前の癇癪だけを見るのではなく、その奥で子どもが何に困り、どんな力を必要としているのかを見る。
その視点を持つことで、子どもへの関わり方も、子育てのゴールも変わっていきます。
本当にお子さんに手渡したい未来は、どんな未来でしょうか。

