さて今日は、
「選択できること自体が、ひとつの幸せ」
というお話です。
先日、あるバスケットボール
コーチの発信で、
こんな話を聞きました。
プールに来ていた外国人親子。
子どもは泳いでいるのに、
お父さんはプールサイドから見ている。
日本のプールでは水泳帽が
必要だと知らず、
帽子を持っていなかったそうです。
そこでコーチが帽子を渡しました。
けれど、お父さんは
すぐには入りませんでした。
しばらく子どもを見て、
最後は子どもに呼ばれて
自分でプールに入っていった。
この話を聞いて、
帽子をもらったから入れた、
だけじゃないと感じました。
帽子がない時、選択肢は
「入らない」しかなかった。
でも帽子を手にしたことで、
入るも、入らないも、
自分で選べるようになった。
私は、
この「選べる状態にあること」自体が
ひとつの幸せなんじゃないかと
思ったんです。

これは、
起立性調節障害の子の進路も同じです。
通信制を選ぶことが悪いわけでは
ありません。
学校を離れることだって、
その子に必要な選択な場合もある。
でも、
「もうここしかないから選ぶ」
のと、
自分の体調や得意不得意、
大事にしたいことを考えて、
「私はここを選ぶ」といえるのでは、
同じ進路でも全く違います。
実際に、
あるお母さんが
娘さんが中学3年生の1月に
来られたことがあります。
娘さんは中2で起立性調節障害を発症。
十分なサポートにつながれないまま、
受験という負荷の高い時期に入りました。
「休ませる?」
「背中を押す?」
「勉強はさせる?」
自己流で試してはうまくいかず、
迷っているうちに、
本人が納得できる進路を
十分に選べない状態になっていました。
個別相談の時お母さんは、
「通信制高校には行くと思います。
でも高校に入ってからまた
同じことになったら怖い。
その前に土台を整えたいです」
と話してくださいました。
ここで大事なのは、
「環境が変わればうまくいく」は
半分は正解だけど、
半分は足りない
ということです。
通信制に変わって、
朝の負荷や人間関係が減れば
ラクになる子もいます。
でも、
「どうせ無理」
「またできなかった」
「失敗したくない」
「こんなとこ、行きたくなかった。
人生終わりだ。」
という思考のクセや、
自分の状態がわからない、
人に合わせて頑張りすぎる、
自分で決める自信がない、
という部分が残ったままだと、
環境が変わっても
またそこで自己肯定感を
こじらせることがあります。
このお母さんは、
「高校に入ってから様子を見よう」
ではなく、
今サポートを始めることを選びました。
すると4月までに、
生活リズムが整い、
英検を受けてみようと
自分から動き始め、
嫌がっていた課題にも取り組み、
家でも、
選択を自分ですることが増え、
お米まで自分から炊くようになりました。
学校とは関係ないところから、
「自分で考えて、
自分で決めて、
自分で動く」
ことができるようになったんです。
たった3か月で
見る見るうちに回復された
娘さんを見て
最後に、
お母さんがこう話してくださいました。
「1年前に大下さんを見つけた時に
すぐ受講していたら、
もっと違う選択肢があったかも
しれません」
私はこの言葉が
ずっと心に残っています。
通信制を選んだことへの後悔では
ありません。
もっと早く、娘さんが
自分の状態を理解して、
自分で考えて、
自分で動ける状態になっていたら、
“選べる進路”が
もっと残っていたかもしれない。
そういうことなんだと思います。
だから私は、
子どもに
「正しい進路」を渡したいのでは
ありません。
手渡したいのは、
選択できる未来です。
そのためには、
自分は何が苦しいのかを知る力。
何を大事にしたいのかという
自分なりの基準。
選択肢を増やすために
少しやってみる力。
やってみて違ったら、
また選び直す力。
こういう力が必要です。
そしてそれは、
受験直前になって
突然身につくものではありません。
毎日の親子の会話の中で、
「こうしなさい」と
答えを渡すのではなく、
「あなたはどう思う?」
「何ならできそう?」
「他にはどんな方法がある?」
と、子ども自身が考える時間を
増やしていく。
その手前で、
自分で選べる脳の状態を作る。
さらに手前で
自己理解を深めるサポートをする。
そして、さらにそのもっと手前で
自信を回復しておく。
もっというと、
ママの話をしっかり脳で処理する
状態を作っておく。
こんな準備が必要です。
私は、
ママにコミュニケーションを
学んでほしい理由は、
学校に戻すためだけではないと
思っています。
朝起こせるようにするためでもない。
この先の人生で、
子どもが何度も出会う
“選択する場面”に備えるためです。
幸せって、
一度も間違えないことではなく、
選べること。
やってみること。
違ったら、
また選び直せること。
「これしかない」ではなく、
「私はこれを選ぶ」と言えること。

私は、
そんな未来を
子どもたちに手渡したいと思っています。
今日はここまでです。


