こんばんは!
今日のテーマは
笑い方も忘れるくらい
子育てが大変だった…
です。
今は笑顔で
発コミュのトレーナーとして
先生をしている私ですが
子育てに苦戦していた時期は
笑うこともできないほど
疲れて切っていました。
今日は、その当時の想いと
そんな私がどうして
変わっていったのか…
お話をしたいと思います。
進級に不安を感じている子の
ストレスをやわらげる関わり方がわかります!
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私の息子がグレーゾーンだと
わかったのは小学校6年の時。
ですが
うちの子はなんだか育てにくい…
という感覚は、息子が小さい頃から
ずっと感じていました。
まだ幼児だったころ。
子育て支援センターの
遊び場に息子を連れていっても
お友達のように
楽しそうに遊ぶ様子はなく
私にくっついて
なかなか離れてくれない。
ママ友は笑顔で
子どもを遊ばせて
談笑しているのに…
私はその輪にも入れずに
子どもにつきっきり。
漠然と、疎外感を
感じていました。
今振り返れば、
小さい頃はASDグレーの
特性が強めにでていた息子。
保育園に入ると
偏食がひどく(感覚過敏の影響ですね)
毎日の食事のメニューを
考えることすら苦痛でした。
だって!「あなたのためを
思って作ったご飯なのに」
「見向きもしない」
「食べてくれない」
どうして?
だからご飯の時間も
全然楽しくなかったし
怖い顔で
ご飯の時間を
過ごしていたはずです。
育てにくい・・・
育てにくい・・・
誕生日が遅いから
成長がちょっと遅いだけ。
「小学校に上がったら
なんとかなるはず」
そう自分に言い聞かせたけれど。
小学校に上がったら
ADHDの特性も出るようになり
トラブルが増え、
学校からの呼び出しも増え…
凸凹トラブル全開期
(と名前をつけました)
を迎えました。
授業を聞かない、
お友達とトラブル勃発、
係の仕事を全然しない、
挙げ出したらキリがない(笑)
くらいの「学校が合わない子」。
しつけの子育てで
息子を無理やり変えようと
必死だったころ。
私から笑顔はもっともっと
減っていきました。
思春期を迎える頃には
親子で毎日
取っ組み合いのケンカ。
この子を育てるのは
もう無理かもしれない…
と思い
夜な夜な泣きながら
ネットサーフィンをする生活。
そして出会ったのが発コミュ。
どんよりしたオーラを
まとった状態で
個別相談にいきました。
発コミュ創始者の
吉野も、その秘書さんも、
トレーナー仲間も
ちょっとびっくりするくらい
負のオーラを纏った状態で
発コミュをスタートしたんです。
ここまでお話ししたのは
私の子育て奮闘記の
ほんの一部です。
ですが
今この記事を読んで
くださっているあなたも
何かしら
似たような体験を
されているのではないでしょうか?
学校嫌いで怒りっぽい子が
穏やかに動ける子になる!おウチコミュニケーション
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子どもに対して
笑うこともできなくなった…
子どもの未来にも
自分のこれからの人生にも
不安しかない…
そんな私が
大きく変わったのは
子どもを伸ばす
新たな価値基準と
出会ったからでした。
今までの日本では
誰も着手してこなかった
その「あること」が
私たち親子を
笑顔で溢れる親子に
変化させてくれたのです。
凸凹子育て
不登校子育てに
立ち向かっているママが
笑顔で
毎日を過ごすことが
どれだけ大変なことか…
私も痛いほどわかっています。
ですが、ママが、子どもが
ニコッと笑えるようになる
方法があります。
それは、
文部科学省も、
教育サービスの
大手企業も、
療育サービスの
最大手の民間企業も、
実は教えることが
できない方法なんです。
「子どもをなんとかしよう」
と奮闘していた時期は
私の子育ては
いつも苦痛を伴うものでした。
それが、なぜ、変わったのか?
そして、これから本当に
必要になっていく”教育”は
一体なんなのか?
次の記事でお伝えしますね!