さて今日は
『「行きたいのに行けない』は、
ウソでも気持ちの弱さでもありません」
というお話についてです。
これは、優等生タイプだった娘が、
中学に入り、いわゆる中1ギャップで
学校へ行けなくなり始めた頃、
よく口にしていた言葉です。

この「行きたいけど、行けない…」
繊細タイプのお子さんが
不登校になるとよく聞かれる言葉です。
娘も小学校までは、
先生の話をよく聞いて、
周りに合わせて、
やるべきことをきちんとやる子でした。
けれど、中学校に入ると、
新しい制服。
新しいクラス。
教科ごとに変わる先生。
定期テスト。
先輩後輩の関係。
部活動。
これまでなら頑張れていたことが、
少しずつ重なり始めました。
そして、朝になると、
「今日は行く」
「遅れてでも行く」
そう言うのに、
時間が近づくと動きが止まる。
布団に戻る。
目を開けない。
トイレにこもる。
顔色が変わる。
制服を出して、
朝食を用意して、
車もすぐに出せるようにして。
私も、できることは
全部やっているつもりでした。
「送っていくよ」
「午後からならどう?」
「別室なら入れるかもしれないよ」
「保健室に顔だけ出してみる?」
娘も、本当に行くつもりでいる。
だから私も、
その気持ちを叶えてあげたくて、
何度も起こしました。
励ましました。
選択肢を増やしました。
けれど、時間が近づくほど、
娘の体は動かなくなる。
そして結局、行けない。
そのたびに私は、
「なんで?」
と思っていました。
行きたいって言ったよね。
起こしてって言ったよね。
ここまで準備したのに。
できるだけ負担を減らしているのに、
どうして最後の一歩が出ないの?
そして最後には、
「私の関わり方が悪いのかな」
「もっと早く気づいていたら
違ったのかな」
「休ませたから、行けなくなったのかな」
と、自分を責めていました。
子どもの「行きたい」を
叶えてあげられないことが、
母親としての力不足のように
感じていたんです。
けれど、ここで一つ、
視点を変えてほしいんです。
多くの人は、
「本当に行きたいなら、行けるはず」
「行けないのは、行きたい気持ちが
まだ弱いからではないか」
と考えます。
ですが、実際には、
行きたい気持ちと、
行動できる状態は、
同じではありません。
本人の中には、
本当に「行きたい」がある。
学校に戻りたい。
友達に会いたい。
授業にも遅れたくない。
普通に過ごしたい。
けれど、学校を想像した瞬間に、
「また具合が悪くなったら」
「教室に入れなかったら」
「みんなに見られたら」
「遅れていることを聞かれたら」
そんな過去の記憶や
これから起きるかもしれない不安を、
脳が先に危険として受け取ってしまう。
すると脳は、
本人の意思よりも先に
ブレーキをかけます。
体が固まる。
動悸がする。
お腹が痛くなる。
布団から出られなくなる。
これは、甘えでも、
根性不足でもありません。
自分を守ろうとする脳が起こす、
生存反応です。
だから、
「行きたい」と「行けない」は、
矛盾ではありません。
どちらも、
その子の本当の気持ちです。
ここで親が考えたいのは、
「どうしたら、今日行かせられるか」
だけではありません。
「どうしたら、この子の脳が
学校を危険ではないと感じられるか」
「どうしたら、行けなかった経験を
失敗として積み重ねずに済むか」
「どうしたら、自分で考え、選び、
小さく動き出せる状態をつくれるか」
ということです。
娘の「行きたい」を信じることは、
無理に学校へ向かわせることでは
ありませんでした。
行けない今の娘を否定せず、
「行きたい気持ちはちゃんとある」
「今は、体と脳にブレーキが
かかっているだけ」
と見立て直すことでした。

その視点を持てるようになってから、
私は娘を起こすことよりも、
娘が自分の気持ちを言えること、
「今日は無理」と言えること、
「ここまでならできそう」と
自分で選べることを、
大切にするようになりました。
すると少しずつ、
「今日は玄関まで行ってみる」
「午後なら行けるかもしれない」
「この授業だけ出たい」
と、娘自身が
自分の一歩を考えるようになりました。
親が育てたいのは、
どんな日でも学校へ行ける子で
はありません。
不安や体調の波があっても、
自分の状態を知り、
自分に合う方法を考え、
助けを借りながら、
もう一度動き出せる子です。
「行けたか、行けなかったか」だけで
子どもの成長を測らなくて大丈夫です。
学校へ行くことは、
ゴールではありません。
その子がこれから先、
壁にぶつかった時にも、
自分を責めるのではなく、
「今の自分には、何が必要だろう」
と考え、選び、動けること。
そこまで育てることが、
本当の回復だと私は思っています。
わが子の「行けない」を、
気持ちの弱さや甘えではなく、
脳の仕組みから
見立てられるようになると、
親の言葉が変わります。
親の言葉が変わると、
子どもの脳に届く安心が変わります。
そして、その安心が、
子どもが自分の人生を
もう一度、自分で動かしていくための
土台になっていきます。
それは「今」この瞬間だけを
変えるものではありません。
ここから先ずっと、
お子さんの人生の土台に
なって行くものです。
こんな最高の贈り物、
ないと思いませんか?
今日はここまでです。


