ガムを噛んでても
貧乏ゆすりをしていても
授業中、席を移動しても
叱られない教室って大丈夫?
と思いますか?
私が、留学していた
アメリカの公立高校の教室は
そんな教室でした。
授業態度は一見
悪いように見えるのですが、
みんな授業に意欲的に
参加しているのです。
どういうことかというと、
基本的に
先生が黒板の前に立って
一方的に
話し続ける授業はなく、
先生がある問いを投げ、
それについてみんなが
思ったことを意見する
ディスカッション形式の
授業構成が多かったからです。
先生は、教室内の
1箇所にとどまらず、
歩きながら、時には
ある生徒の横の空いている
席に座って話したり、
私たちが後を向いて
座るはめになるので、
姿勢が崩れたり、
先生が見えやすいように
別の席に移動するなども
大いにありの教室でした。
つまり、
授業態度はどうであれ、
その授業で学習してほしい
ものを持ち帰ってくれたらOK!
というゴールが明確な
授業でした。
日本の学校は、
小学校に入学して
まず初めに教わることが、
前を向いて
(おへそを先生へ)
背筋を伸ばして座る
ことです。
姿勢よく、
静かにしていないと
授業はできない、
という前提があるからです。
これ、本当に本質的に
重要なことでしょうか?
授業を理解させたいのに
求めることを増やして
集中できない子を
生み出していないでしょうか?
私が通った高校では、
姿勢どころか
くちゃくちゃガムを食べ、
言いたいことがあれば
時には先生に
反対尋問してもOK!で
とても賑やかでした。
けれども、
授業は進行していました。
授業の中身を習得することが
ゴールだったら、
やり方は一つではない
はずです。
集団というのは、
そこにいるメンバーの
個性によっていろんな
色を放ちます。
動きが活発な集団なら
動きを止めるようなことに
エネルギーを使っていたら
もったいないんです。
むしろ、授業中、
何度も立たせたり
歩かせたりエネルギーを
解放しながら、
授業への集中を
途切らせない工夫をした方が
よっぽど中身の理解が
深まるのです。
本当に重要なことは何か?
あれもこれも重要ってして
本質を見落としていないか?
ところを変え、
見方を変えてくると、
本当に大事なものって
見えてくるはずです。
私たちの常識が
子どもたちの可能性や
個性を潰すことに
なっていないか。
そんな視点でみてみると
声かけ、態度、
約束の決め方が
変わってくるのでは
ないでしょうか。