突然ですが、
吃音があると何が心配ですか?
お友達からからかわれたり、
いじめられるかもしれない。
授業中、発言できなくなったり、
音読の宿題に苦しむかもしれない。
アルバイトの面接で
落とされるかもしれない。
仕事で電話対応や
会議で発言ができず
転職ばかりになるかもしれない。
これらは多くの
吃音者の方が
経験してきたことです。
想像ではなく事実。
ですが、
これって
吃音がなくても誰にでも
起こり得ることですよね。
からかわれたり、
いじめられたり、
授業中、発言して笑われたり、
アルバイトの面接で
落とされたり、
職場の電話対応や
会議の発言で失敗したり、、、
吃音があるだけで、
これらの経験の
捉え方が変わってきてしまうんです。
何かうまくいかなかった時、
自分でしたいことを見つけたけど
吃音を理由にあきらめた時、
常に
「吃音さえなかったら・・・」
という考えがつきまとってくる
ようになります。
つまり、
吃音によっておこる
一番の問題は、
偏った考え方の癖
なんです。
どもるというだけで
自分の長所や魅力に
気づけなくなってしまい、
いつも吃音を目立たせないための選択
をしてしまう。
お母さんたちの心配も
実際は、そこにありますよね。
吃音があると自信がなくなり、
消極的な生き方をするのではないか。
この子に重荷を背負わせ、
幸せな人生を歩ませて
あげられないんじゃないか。
そんな想いがよぎると、
吃音さえよくなれば
自信満々に生きて
いけるんじゃないか。
もっと自分らしく
生きていけるんじゃないか。
と、思いますよね。
でも、それ実は逆なんです。
自信がつくから
吃音がよくなるんです。
または
吃音なんてどうでもよくなる
ような経験をすると、
吃音って勝手に消えるんです。
つまり、
お子さんの吃音をよくしたければ
お子さんの自信を育てることが先
なんです。
自己肯定感を育てることで
吃音のお悩みは克服していけます。
でも、吃音がある人の
自己肯定感を高めるって
一筋縄ではいかないんです。
それは、吃音に対する
ネガティブな感情、記憶が
ネガティブな「考える癖」を
育ててしまうからです。
吃音が大人になっても
残っていた方の中で
ある時、ふとどもらなくなった
という経験のある方が
語るエピソードは、
「もう吃音なんてどうでもいいや、
と思ったらどもらなくなった」
というものです。
電話をかけなければいけない、
という時に
何回も練習していたのに、
会議のプレゼンテーション前に
何回も練習していたのに、
ふとしたきっかけで
ふっきれると吃音が消えていきます。
ですが、ここが不思議なところで、
今まで吃音者として生きてきたのに、
吃音者じゃなくなっちゃった、
となると困る方がおられます。
自分を見失われるんです。
何が言いたいかというと
「考える癖」の話は、
アイデンティティー=自分は何者か
の話だということです。
子ども時代は、
親をみて、経験を通じて
「自分が何者か」という
アイデンティティーを
確立していく時期です。
その時期に吃音があると
吃音者としてのアイデンティーが
育っていきます。
だから吃音者としてネガティブな
アイデンティティーを確立した方は
大人になっても吃音に悩み、苦しみます。
一方で、多少吃音が残っている
大人の方でも
「吃音あるけどそれが何?」
ぐらいの方は、
吃音者としてのアイデンティティー
ではなく、
別のアイデンティティーを育てて
吃音にとらわれることなく
生きておられます。
吃音は体質です。
すっかりよくなる方もいれば、
大人になっても時々かむね、
ぐらいに残る方がいます。
正直、ご自分のお子さんが
どちらになるかはわかりません。
ですが、お子さんに
吃音者としてのネガティブな
「考える癖」
アイデンティティーを育てず、
吃音あるけど私は私!
とポジティブな
「考える癖」
アイデンティティーを
育てられたら、
人生が変わると思いませんか?
そのために親は何をしたらよいか。
吃音が出ている時期に
子どもがネガティブな記憶を
溜め込まないように、
ポジティブ脳を育てて
ほしいんです。
こちらの電子書籍に
書いています。
突然ですが、
吃音があると何が心配ですか?
お友達からからかわれたり、
いじめられるかもしれない。
授業中、発言できなくなったり、
音読の宿題に苦しむかもしれない。
アルバイトの面接で
落とされるかもしれない。
仕事で電話対応や
会議で発言ができず
転職ばかりになるかもしれない。
これらは多くの
吃音者の方が
経験してきたことです。
想像ではなく事実。
ですが、
これって
吃音がなくても誰にでも
起こり得ることですよね。
からかわれたり、
いじめられたり、
授業中、発言して笑われたり、
アルバイトの面接で
落とされたり、
職場の電話対応や
会議の発言で失敗したり、、、
吃音があるだけで、
これらの経験の
捉え方が変わってきてしまうんです。
何かうまくいかなかった時、
自分でしたいことを見つけたけど
吃音を理由にあきらめた時、
常に
「吃音さえなかったら・・・」
という考えがつきまとってくる
ようになります。
つまり、
吃音によっておこる
一番の問題は、
偏った考え方の癖
なんです。
どもるというだけで
自分の長所や魅力に
気づけなくなってしまい、
いつも吃音を目立たせないための選択
をしてしまう。
お母さんたちの心配も
実際は、そこにありますよね。
吃音があると自信がなくなり、
消極的な生き方をするのではないか。
この子に重荷を背負わせ、
幸せな人生を歩ませて
あげられないんじゃないか。
そんな想いがよぎると、
吃音さえよくなれば
自信満々に生きて
いけるんじゃないか。
もっと自分らしく
生きていけるんじゃないか。
と、思いますよね。
でも、それ実は逆なんです。
自信がつくから
吃音がよくなるんです。
または
吃音なんてどうでもよくなる
ような経験をすると、
吃音って勝手に消えるんです。
つまり、
お子さんの吃音をよくしたければ
お子さんの自信を育てることが先
なんです。
自己肯定感を育てることで
吃音のお悩みは克服していけます。
でも、吃音がある人の
自己肯定感を高めるって
一筋縄ではいかないんです。
それは、吃音に対する
ネガティブな感情、記憶が
ネガティブな「考える癖」を
育ててしまうからです。
吃音が大人になっても
残っていた方の中で
ある時、ふとどもらなくなった
という経験のある方が
語るエピソードは、
「もう吃音なんてどうでもいいや、
と思ったらどもらなくなった」
というものです。
電話をかけなければいけない、
という時に
何回も練習していたのに、
会議のプレゼンテーション前に
何回も練習していたのに、
ふとしたきっかけで
ふっきれると吃音が消えていきます。
ですが、ここが不思議なところで、
今まで吃音者として生きてきたのに、
吃音者じゃなくなっちゃった、
となると困る方がおられます。
自分を見失われるんです。
何が言いたいかというと
「考える癖」の話は、
アイデンティティー=自分は何者か
の話だということです。
子ども時代は、
親をみて、経験を通じて
「自分が何者か」という
アイデンティティーを
確立していく時期です。
その時期に吃音があると
吃音者としてのアイデンティーが
育っていきます。
だから吃音者としてネガティブな
アイデンティティーを確立した方は
大人になっても吃音に悩み、苦しみます。
一方で、多少吃音が残っている
大人の方でも
「吃音あるけどそれが何?」
ぐらいの方は、
吃音者としてのアイデンティティー
ではなく、
別のアイデンティティーを育てて
吃音にとらわれることなく
生きておられます。
吃音は体質です。
すっかりよくなる方もいれば、
大人になっても時々かむね、
ぐらいに残る方がいます。
正直、ご自分のお子さんが
どちらになるかはわかりません。
ですが、お子さんに
吃音者としてのネガティブな
「考える癖」
アイデンティティーを育てず、
吃音あるけど私は私!
とポジティブな
「考える癖」
アイデンティティーを
育てられたら、
人生が変わると思いませんか?
そのために親は何をしたらよいか。
吃音が出ている時期に
子どもがネガティブな記憶を
溜め込まないように、
ポジティブ脳を育てて
ほしいんです。
こちらの電子書籍に
書いています。
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