不登校専門の占い師さんはいじめによる不登校で悩んでいた中学時代がありました。不登校を経験しているからこそわかる、子ども時代の気持ち、彼女を救ってくれた周りの大人の関わり方を聞きました。子どもの不登校で悩んで暗い顔をしているお母さん必見です! |
【目次】
1.姉のいじめ、お通夜状態の家、そこから救ってくれた居場所
2.小学校の養護教諭の一声でフリースクールへ
3.『このままじゃ満足できない!』高校受験へチャレンジ
4.不登校の子どもの心を癒せる環境づくり
1.姉のいじめ、お通夜状態の家、そこから救ってくれた居場所
北海道札幌市には不登校専門の占い師さんがいらっしゃいます。
夜明(よあけ)ちはるさん
彼女自身も元不登校児です。現在、ブログ活動をベースに不登校のお子さんとお母さんを占いによって支援する活動を行っています。
とても明るく、不登校だったとは思えないほど前向きな方です。
今回は、夜明さんに不登校の経験や、その経験を生かした現在のお仕事についてのお話を聞かせていただきました。
−−−学校へ行かなくなった時期はいつ頃からでしたか?
「中3の春、5月以降でした。」
−−−特にきっかけなどありましたか?
「うちは、きょうだい4人不登校になったんです。私が小学6年生のとき、まず初めに一番上の姉がいじめを受けて一番ひどいタイプの不登校になっていました。
家族全員が、姉がいついなくなるんじゃないかと心配していたくらいでした。
私が中学生に上がって、『あいつの妹だ』っていう目で見られるようになって。教室などで、姉がいじめられた形跡を見てしまったり、姉がいじめられてると知っている上級生から野次を飛ばされたりしました。
小学生のときからいいターゲットだったんですよね。大きいいじめではなかったけど、嫌がらせが続いていました。」
−−−そうだったんですね、辛かったですよね。
「家族もいつもお通夜状態でした。父親は、最初に姉が不登校になったとき、『行け!行け!』と言っていた状況で。いじめによりすでに姉が鬱状態だったそうで、登校刺激でさらにうつが悪化してしまったようでした。
姉の様子を見て『まずは生かすことを考えよう』という風に対応が変わっていきましたが。」
―――そんな家庭の状況では、小学生の頃から影響を受けますよね。
「そうですね。母親は姉を死なせないように必死、父親は厳格なタイプ。そんな感じで会話がなかったです。『ちょっとまずいな、このままだと自分も潰れるな』と感じていました」
ーーー
家庭でも学校でも自分を受け入れてもらえる居場所がなかった夜明さん。まだ小学生の頃からそのような生活だったため、とても心細かったことでしょう。
子どもにとってまず必要なことは、自分をありのままに認めてもらえる安心できる居場所です。 その居場所が家庭ではない場合でも大丈夫です。
夜明さんも、家庭や教室以外の居場所に出会うきっかけがいくつかあったそうです。最初の居場所について教えてくれました。
「唯一居場所になっていたのが、スポーツクラブで。中学に上がってから、卓球の部活帰りに寄っていたんです。力をすごく入れていたところで、夜の21時を過ぎても練習してていいよと言ってくれていたので、いられる限りその居場所にいました。」
―――スポーツクラブの方は、夜明さんの状況を知っていたんでしょうか?
「スポーツクラブの先生が同級生のお父さんだったので、知っていました。」
―――おうちにも居づらいという状況で、逃げられる場所があったのは少し救いでしたよね。やはり、親御さんには、ちはるさんの気持ちを相談することはできなかったですか?
「あのとき、あの場所があったからすぐにつぶれずに済んだと思います。両親には相談できなかったし、姉のいじめの痕跡を見たことも言えなかったです。下の2人の兄弟も小さくて、自分がしっかりしなきゃと感じていましたから。」
―――中3の春以降、どのように不登校になりましたか?
「『もうこんな学校来るか!』という気持ちがつのって学校へ行かなくなりました。姉のこともあって、先生達のことも信用できなかったんです。養護教諭の先生が、『保健室に来なさい』と言ってくれて、保健室に通うようになりました。
けれど保健室に通うことが、だんだん意味がわからなくなって行かなくなって。45日間くらい、家でゴロゴロ生活をしていました。」
―――ご両親は、夜明さんのときには責める発言や無理やり学校へ行かそうという行動はなかったんですか?
「さすがに、姉のことがあったから私の不登校ではそういうことはしなかったですね。もう仕方ないな、という感じでした。」
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学校で辛い思いや苦しい経験をしたとき、家でお母さんやお父さんに愚痴ってスッキリしたり、悩みを伝えて解決できるようサポートしてもらって安心する中で、子どもは困ったことの対処法を学んでいくものです。
小・中学生にとって、自分のことを一番理解してもらえる、安心できる環境は家族であって欲しいと思いますが、家庭の事情によりそうならないケースもあるということがわかります。
学校も自宅も居心地が悪かった夜明さんにとって、最初に救われたと感じた居場所はスポーツクラブでした。
学校の先生じゃなくても、両親じゃなくても、自分のことを知っていてくれて受け入れてくれる環境があるだけで『つぶれずに済んだ』と思えたのですね。
2.小学校の養護教諭の一声でフリースクールへ
―――しばらく家でゆっくり過ごす日々は続いたのですか?
「45日間欠席をした後、また動き始めたんですよね。また家族以外の周りの人が助けてくれたんです。中学の保健室の先生だけじゃなくて、小学校の保健室の先生も助けてくれたんですよ!
ある日、家でゴロゴロしていたら、電話がかかってきて。小学校の保健室の先生から。そこでこんなやりとりをしたんですね。
『お前、学校行ってないの?』
『うん行ってないよ』
『お前何時に起きたんだ?』
『今起きたよ』
『もう昼じゃん、そんなんじゃダメだぞ。フリースクールに行け!』
って、そう言われてフリースクールに行くようになったんですよね。」
―――保健室の先生というイメージとは、ちょっと違う先生ですね!
「そうですね、すごく体育会系の感じで、厳しさの中に優しさがあるという感じの先生でしたね。」
―――その小学校の保健室の先生に言われて、フリースクールに通うようになったんですか?
「そうなんです。毎日自転車で!」
―――それまでゴロゴロ生活をしていた日々から、いきなりですか?
「はい。最初は母親と行ったけど、『楽しそう!』と思って毎日行くようになりましたね。部活やスポーツクラブで体を鍛えていたから、体力があったことが大きかったと思います。
私は、『自分の居場所探し』をしていたんだと思うんですよね。
『ここなら、楽しい、楽にいられる』って思って、『明日から来るわ』って言っていました。」
―――すごいですね、周りのサポートに恵まれていますね。
「そう!私はラッキーだったんですよね。休み始めた頃にも、母親に『フリースクールあるよ』と言われて嫌だと言った気がするんですよね。保健室の先生に言われて行こうかなと思えて。
出席日数は保健室とフリースクールで稼いだ感じでしたね。」
ーーー
珍しい体育会系の養護教諭の先生からの優しいお叱りによって再度動き出せた夜明さん。
初めてのフリースクールに自転車で毎日登校という生活を始めました。
部活やスポーツクラブで体を動かしていたことと、環境の変化に強い持ち前の心の明るさによる賜物ではないかと思います。
不登校をしている子どもは、家に引きこもりがちになるので、運動不足になって体力が落ちてしまうことがよくあります。元々運動が苦手という特性をもった子どもなら尚更です。
発達に特性のある子どもたちは、急な環境の変化が苦手、初めて会う人が苦手という場合も多いです。
そのような子どもの場合は、再登校や、フリースクールなどの他の居場所へ通う際には、気力だけではなく体力にも考慮して『無理せず、少しずつ慣れましょう』という対応をしていくことが必要ですよ。
お家で過ごす時間は、お母さんとダンスをする、立ち仕事のお手伝いをしてもらう等体力面にも意識して過ごさせてあげられると良いですね。
3.『このままじゃ満足できない!』高校受験へチャレンジ
―――夏休み明けもずっとフリースクールに通っていたんですか?
「それが、また学校の保健室に戻ったんですよ。」
―――なぜですか?
「フリースクールで、リフレッシュできて良かったんですけど、疲れてしまったんですよね。みんなで遊んだりトランプしたり、勉強もするけど遊ぶっていうのが楽しかった。でも、だんだん、みんなが一呼吸置かずに喋りまくるっていう状況に疲れてしまって。
だんだん、ここじゃないなという感覚になっていきました。
最初、フリースクールの先生にも『あなたは長くここにいたらダメだよ』と言われていて、『なんで?』と思っていたんです。
夏休み前頃までの2〜3ヶ月通って、『このままでは本当に私はダメになる』と思うようになっていきました。
そう思ったけれど、『学校もだめ、フリースクールもだめ、私の居場所はどこなんだ』と悩みました。夏休みの終わり、中学校の保健室の先生から電話がきました。夏休み中も部活には参加していたので、調子を聞いてきました。
『最近どう?』って聞かれて、『自分の居場所がない感じ、部活も居場所じゃないし』と答えました。部活に出ていたけど、女子との関係が最悪で、ただ卓球をやって帰るっていうだけだったんですよね。
『じゃあ、また保健室来たらいいじゃない』と言われて。当初、私の中に『また以前の場所に戻る』という選択肢を持っていなかったんですよね。
『そうか〜!その手があったんだ!』って思いました。」
―――「それできるんだ⁈」みたいな感じですか?
「そうですね、『めっちゃラッキーじゃん!保健室戻りまーす、フリースククールやめまーす!』と学校に言って、フリースクールに挨拶もせずに他に行き場所がなかったんで、保健室に戻りました。」
―――素直ですね!
「そうだったんですね。その後そろそろ受験を考える時期になってきて、成績がひどくて、底辺の学校しか入れないという状態で危機感が芽生えました。『これはやばい』と思い始めて。
その頃、母に『あんた、いつ教室戻るんだい』と言われたんです。
母も私の心境をわかっていたんだと思います。『こいつは行けるのに行っていない。現状に甘えている。辛くて行っていないんじゃなくて甘えて行っていない』とわかっていたんだと感じました。
『えーなんでわかるんだ⁈』と思いましたよ。
それで、『このまま底辺の学校には入りたくない!』という気持ちで、いじめられていたけど、友達もいて、入る輪があったから、教室に戻りました。
『あそこの学校だけは入りたくない!』という気持ちで猛勉強を始めたんですよね。塾にも通って、塾の冬休み中の課題を冬休み前に終わらせて提出したくらいです。」
―――すごいですね!崖っぷちに立った方が燃えるタイプですね?
「そうです!リスクがあった方が頑張れた。リスク回避のために頑張ろう!という感じでした。」
―――もしダメだったらっていう否定的な気持ちは出てこなかったんですか?
「うーん、常に自分はダメだっていう気持ちがあったんですけどね。
最近思うのは、不登校の子って意外とプライドの高い子が多いんですよね。見てろよ!っていう気持ちが強い。ダメ人間と思いながらも、いじめた子達、今に見てろよ!という気持ちでしたね。」
―――芯の強さを感じます!
「そうですね、強いですね、アクがあるんですよね(笑)」
―――久々に授業に出て、理解できましたか?
「理解できなかったですよ。授業も久々に出て全くわからなくて、涙が出てくるような状態。
中3のときの数学の先生が、『大丈夫だよ、ちゃんと追いつくから安心して』と言ってくれました。塾にも行って、先生も理解してくれて、頑張ったら自然と追いつきました。
地元でも評判のいい個別の指導塾に行って、個別に考えてくれたので、それでまたがんばろうと思えました。
結局は、学校の先生たちや学校へのイメージは悪いんですけど、個々の先生達に助けられたなという感謝の気持ちは強いですね。」
4.不登校の子どもの心を癒せる環境づくり
私が学生だった頃を思い出すと、体調を崩して2〜3日休んだだけでも、『授業についていけるのか、友達グループが変わってないか』等と不安になったことがよくあります。
春から秋と、不登校としては短い期間の不登校だったものの、多感な年頃の中学生が久々に学校生活を送るというのは、不安や葛藤が大きかったと思います。
それでも、スポーツクラブという居場所や、養護教諭の先生からの励ましの言葉、フリースクールでの時間によって疲れた心を回復することができた。
再登校してからの数学の先生や塾の先生等、信頼できる先生達がいて頑張れた。
人との縁は大事なのだなと感じます。
家庭の事情で、夜明さんのことをしっかりサポートできなかったお父さんお母さんも、夜明さんの気持ちをきっとしっかり感じていたのではないでしょうか。
スポーツクラブや塾など、子どもが望んだところに通わせてあげたということも、一つの立派なサポートだと思います。
子どもが不登校になって、子どもの気持ちを理解してあげられなかった、自分自身が悩みすぎてしまって子どもをうまくサポートしてあげることができなかったと過去を悔やんでしまうお母さんもいるでしょう。
私も同じです。しかし、過去を悔やむ時間よりも、これからのことを考えて欲しいです。
夜明さんのように、色々な人との出会いに感謝できる大人に成長できる子どもになれば、子ども達は大人の良いところを吸収して育っていきます。
そのために、私たちも今からでも遅くはありません。子ども達の苦しいこと、辛いことを真剣に受け止めて、安心して過ごせるような家庭環境を作ってあげましょう。
さて、持ち前の明るさと、負けん気の強さで、再登校し高校受験に挑んだ後は順調な高校生活を遅れたのでしょうか?
また、夜明さんが不登校という経験を生かして、今後どんな選択をしたのかを後編ではお伝えします。お楽しみに!
不登校の子どもが元気になるメソッドがあります!
執筆者:すずき真菜
(発達科学コミュニケーションリサーチャー)
(発達科学コミュニケーションリサーチャー)