★3.11はどのような状況で被災されましたか?また子どもたちはどんな状況でしたか?
特別支援学級 教員 F先生
校庭で体育の授業中でした。大きな揺れで地面にへばりつきながら子どもたちを守りました。子どもたちは大きな声で泣き叫び、ガタガタ震えていました。
他のクラスの子どもたちが校庭に避難してくる様子を見ていましたが、割と落ち着いて担任の指示に従っていたようです。校庭で余震が続くと泣き出す子もいました。
保育士 G先生
当時勤務していた園は、海に近いところで全壊しました。
地震発生後は、ホールの床が割れました。安全確保のために開けたテラス側のガラス戸が倒れて割れました。園庭は亀裂が入り、水が噴き出していました。
地震発生時はお昼寝の時間で、間もなく起床時間でした。子どもたちは眠っている子がほとんどでした。揺れに気づいた子どもたちは不安な表情になり、何が起きたのか分かっていない子もいました。
揺れが収まってから園庭に出ましたが、寝起きであったことや恐怖で無言だったり、揺れを感じるたびに泣きそうになっていたりもしました。
発達障害のお子さんは、いつもと違う状況に興奮した様子で、楽しくなり、笑ったり、声を出していました。なるべくわかりやすい言葉で状況を知らせて避難することを話しました。保育士から離れないように配慮しました。保育士の指示に従って避難していました。
保育士 H先生
仙台市太白区にあった保育所で被災しました。当時は1,2歳児の担任をしていて、2階建て2階の保育室にいました。
地震発生時、昼寝から目覚める時間帯。ほとんどの子どもたちはまだ布団の中に横になっていました。
大きく長い揺れや音でしたが、まだ布団の中にいたり、寝ていたり、揺れの間などは泣く子はいませんでした。揺れと揺れとの間に、布団の上でジャンパー、靴下など身につけました。
長い揺れの後しばらくして、すぐ近くにある第二避難場所の小学校へ避難しました。
不安になる子もいたので、おんぶしたり手を繋いだり、できる限り安心できるよう、職員は慌てずに行動するように努めました。
★訓練や見通しを立てておくことは重要だと感じましたか?
特別支援学校 教員 A先生
訓練は必要だと感じました。いつもとは違う状況に早く適応するためにも、細かいところまで見通しを持たせるべきだと思います。
特別支援学級 教員 F先生
重要性は感じますが、「いつ」「どこで」「どう言う状況か」までを想定するのは難しいと思います。
実際に3.11が起きたときは6時間目が始まったところで、1年生が下校で正門を出たか出なかったかくらいのタイミングだったため、誰が確認しに行くのか判断が難しかったです。
保育士 G先生
避難場所、避難ルートを訓練のたびに確認していました。大人がどう動くか、どのように指示を出して子どもたちを守っていくか、日ごろの訓練や予測は大切だと改めて感じています。
保育士 H先生
落下防止などの対策はしていましたが、想像以上の揺れで、重い机が動いたり、棚を飛び出しての落下物があったりしました。
また、あのような予想をはるかに超える自体が起きた時に、訓練や見通しはもちろんのこと、職員間の連携、自分がどう動くか役割を持つか、臨機応変な対応が試されていると感じました。
★引き取りまでの様子
特別支援学級 教員 F先生
夜まで引き取りに来られないお子さんは数名いて、図書室に移動して過ごしました。教員が付き添っていたし、幸いにもご家族が翌日にお迎えに来られました。
保育士 G先生
小学校の教室で過ごしました。次々と保護者が迎えがくるなか、残っている子どもたちは不安で泣き始める子もいました。
発達障害のお子さんは少し緊張しているような様子のお子さんもいましたが、騒いだりせず、保育士の膝に座っていたり、ダンボールで囲いを作らせてもらい、安心できるようにしました。
「今日は先生と小学校で過ごすよ」とわかりやすく知らせていました。また、浸水や火災があったため、外の様子を見せないようにしていました。
保育士 H先生
保育所から避難したものの、第二避難場所が安全確保ができる状況ではなく、校庭に避難しました。雪が降って寒いこともあり、どこが一番安全か確認し、保育所の一階の保育室に戻りました。
電気暖房などライフラインが切断されていたので、みんなで集まり毛布、懐中電灯、職員車のライトなども使用して過ごして保護者の送迎を待ちました。
その間、おやつを食べたり、文化財を見せたり、職員がギターを演奏したりして、少しでも楽しい雰囲気を作りました。
発達障害を持つ子は不安を口にしていましたが、保育士がそばにいることや好きな玩具があることで大きな混乱なく過ごしていました。
迎えの時間はさまざまでしたが、こどもたちは全員その日のうちに保護者のもとに帰りました。
職員の中には安全上帰宅できなかったり、帰宅しない選択をしたりして、保育所で車に泊まった方もいました。
★避難所は利用されましたか?
特別支援学校 教員 A先生
私自身は避難所を3日利用しました。当時の生徒は、避難所を利用できなかったというケースがほとんどでした。食料だけ支給してもらうために避難所に行ったということも聞きました。ライフラインが復旧するまで県外の親戚を頼る家庭も多かったです。
特別支援学級 教員 F先生
我が家は電気が2週間ストップ、ガスが1ヶ月半ストップ、水道が2ヶ月ストップしましたが、避難所は利用しませんでした。
学校は避難所となって、近隣の方々が大勢来られたのですが、特別支援学校の子は騒いで迷惑かけるからと、車内で何日も過ごしていました。
中学生や地域の人が協力して、すすんでいろいろな仕事をしてくれました。
保育士 H先生
ライフライン切断されていましたが、避難所は利用しませんでした。非常食やカセットコンロなど利用しました。
保育所は開所していたが、ほとんどの家庭は自宅で過ごしていました。
★そのほか伝えたいこと
特別支援学校 教員 A先生
障害が重度のお子さんは特にだと思いますが、地域との繋がりがなかなか持ちにくく、そのことも震災時に避難所を利用しづらかった要因だと思います。
特別支援学校では、本来通うはずである地域の小中学校と居住地校交流という形で交流の時間を持つことができるので、普段からお互い顔を見知っていることが災害時にもいろんな面で役立ってくるように思いました。
特別支援学級 教員 F先生
自分の身は自分で守ること。
はぐれてしまってもすぐに会えなくても自分の身を守れば絶対に家族と再開できることを伝えておくこと。
保育士 G先生
いつ大きな災害がくるのか分からないので、連絡先など、いつもと違う場合は知らせていただくと助かります。
例えば連絡先が自宅で登録していも、外に出る用事があるので今日何かあったらスマホに連絡してください、とか。
保育士 H先生
備えはもちろん、家族一緒にいない時に起こることもあるので、日頃から、万が一このような事態が起きた時にどうするか、話題にしておく。