文科省が、
特定分野で突出した才能を持つ
いわゆる「ギフテッド」の小中学生に対して、
通常授業の中で別課題を出したり、
大学や研究機関の授業を受けられるようにする制度案を示した、
というニュースがありました。
私はこの記事を読んで、
とても大事な一歩だと思いました。
みんなと同じ授業の中で退屈してしまう。
周りと話が合わず、
友達関係で孤立してしまう。
そんな子たちに、
その子に合った学びを用意することは
本当に必要です。
けれど同時に、
私は少し複雑な気持ちにもなりました。
制度ができたとしても、
その制度を使う先生が、
どんな言葉で子どもに伝えるのか。
そこを間違えたら、
子どもの心は傷ついてしまうからです。
たとえば、
「あなたは特別だから、
こっちの課題をやってね」
という一言。
先生は配慮のつもりでも、
子どもは
「私はみんなと違うんだ」
「迷惑をかける存在なのかな」
「面倒だから別にされたのかな」
と受け取るかもしれません。
そして周りの子どもたちも、
「あの子だけずるい」
「なんで特別扱いなの?」
と感じるかもしれません。
制度は大切です。
けれど、
制度だけでは子どもの自己肯定感も、
自己効力感も育ちません。
私が関わってきた発達凸凹の子たちは、
「できないこと」だけで
傷ついてきたわけではありません。
人と違うことで、
何度も注意される。
空気が読めないと言われる。
普通にやりなさいと言われる。
みんなと同じようにできない自分を、
責め続けてきた子たちです。
本当に深い傷は、
他人からどう見られたかだけではありません。
いつの間にか、
「違う自分はダメなんだ」
と、自分で自分にOKを出せなくなってしまうことです。
これは、
その子一人の問題ではありません。
100年以上、
「みんな同じにできること」を
正解にしてきた日本の教育が、
子どもたちの心に残してきた傷でもあると、
私は感じています。
人と違うことは、
合わせてもらうもの。
配慮が必要なもの。
迷惑をかけないようにするもの。
そんな空気の中で育てば、
子どもは自分の輝きさえ、
隠すようになります。
けれど本当は、
一人ひとり違うことが当たり前。
その違いに合わせて学べることも、
その違いが尊重されることも、
本来は「特別な配慮」ではなく、
当たり前の教育であってほしい。
発達凸凹の子も、
知的に遅れのある子も、
一人ひとりが持っている輝きは違います。
だから私は、
「普通に近づけること」を
目指したいのではありません。
その子の脳の使い方を知り、
その子らしい強みを見つけ、
「自分はできる」
「もっと挑戦したい」
そう思える関わりを増やしていきたいのです。
制度が変わることは、
大きな一歩です。
けれど制度だけでは、
子どもの心の奥にある
「自分はこれでいい」
という感覚までは育ちません。
それを育てるのは、
毎日そばにいる大人のまなざしです。
この子は困った子ではなく、
まだ輝き方を知られていない子。
この子は迷惑な子ではなく、
脳の使い方が違う子。
この子は直すべき子ではなく、
磨けば光るダイヤモンドの原石。
そう見てくれる大人が一人いるだけで、
子どもの人生は変わり始めます。
「みんな同じ」が当たり前ではなく、
一人ひとりの輝きが大切にされることが
当たり前。
そんな教育を、
日本のスタンダードにしたい。
100万人のダイヤモンド職人ママが、
子どもが潰されない国をつくる。
これが、私の目指す未来です。
子どもたちは、
もともと一人ひとりが
ダイヤモンドの原石です。
その輝きを見つけ、
信じ、
磨ける大人が
子どもたち一人ひとりの前に立ったとき、
日本の教育は大きく変わると、
私は信じています^^

