受験で失敗したら、人生は詰む?不安定な子どもに親が今できる判断軸

受験で失敗したら、人生は詰む?そう思ってしまうほど、私たちは「今」という一瞬に、あまりにも大きな意味を乗せすぎているのかもしれません。受験期に「もう人生詰んだ」「やめたい」そんな言葉を口にする子どもに、親はどう向き合えばいいのでしょうか。これは、受験を控えた思春期の子どもとの関わりに悩むお母さんから寄せられた相談をもとに書いた記事です。

 

 

「今しかない」と感じてしまう理由

 

 

多くの親が、受験期に強い焦りを感じるのは自然なことです。

 

 

私たち親世代は、受験をして、いい学校に入り、いい仕事に就くことが幸せだと、ほとんど疑うことなく大人になってきました。

 

 

だからこそ、

 

 

・今が踏ん張りどき

・ここで決めなければ

・遅れたら取り戻せない

 

 

そんな感覚に、無意識のうちに縛られてしまいます。

 

 

受験期であっても、私のスタンスは変わらない

 

受験期であっても、私はいつも同じスタンスで向き合ってきました。

 

 

なぜなら、受験だけで子どもを評価することはないと決めているからです。

 

 

そう思えるようになったのは、発達科学コミュニケーションを学び、脳の仕組みを知り、私自身の「当たり前」が大きく変わったからでした。

 

 

今、学校に行かない子どもたちが増え、仕事の形も次々と変わっています。

 

 

かつての価値観だけで、子どもの未来を測ることが難しくなっている時代です。

 

 

私は、今はまさに価値観を更新していく過渡期なのだと感じています。

 

 

受験期であろうと、そうでなかろうと、いつだって、私のスタンスは変わりません。

 

 

なぜなら、脳は「安心」を土台にして、初めて力を発揮できるものだからです。

 

 

ある程度の負荷や圧が力になる子もいます。

 

 

ただしそれは、受け止められる状態にあることが大前提です。

 

 

なお、このスタンスについてはこちらの記事でも詳しく書いています。

▶︎ 受け止める関わりの土台をつくる
https://desc-lab.com/miyatakanako/3967/

 

 

今回の記事と同じく、「行動や言葉ではなく、状態を見る」という視点で整理しています。

 

 

強い言葉や不安を、どう受け取るか

 

「もう人生詰んだ」

「やめたい」

「どうでもいい」

 

 

我が子を含めて、親としてドキッとする言葉を多くの子どもたちから何度も耳にしてきました。

 

 

ただ、発達科学の視点で見ると、こうした言葉は字面通りの意思や覚悟を表しているとは限りません。

 

 

✅助けてほしいというサイン

✅これ以上無理だという休息のサイン

✅言葉を吐くことで行動に入るスイッチ

 

 

大切なのは、言葉の内容ではなく、その言葉が出ている「状態」を見ることです。

 

 

不安が高まっている子どもに対して、不安をその場で解消しようとする必要はありません。

 

 

漠然とした不安は、さらなる不安を呼び寄せます。

 

 

だからこそ、「何が不安なんだろう」一緒に探すつもりで、不安を小さく分解するつもりで話を聞きます。

 

 

答えを出さなくても構いません。「だから、そう思っていたんだね」と、言葉にして返すだけでも、不安の質は変わっていきます。

 

 

こうした場面で、親があらかじめ決めておきたい姿勢があります。

 

 

親が解決役にならない

親が前向きにさせようとしない

親が結論を急がない

 

 

「どうする?」と迫るより、「今は決めなくていい」と親が立てるかどうか

 

 

ここが、子どもの状態を守る分かれ道になります。

 

 

「今、このタイミングで親子の境界線を入れるべきなのか」

「何も言わないと、舐められてしまうのではないか」

 

 

けれど、不安が高まっている状態では、境界線を入れること自体が脳への負荷になることもあります。

 

 

今は、「何をさせるか」よりも「どの状態を整えるか」を見るタイミングかもしれません。

 

 

いつも、私たちがみるべきものは子どもの行動ではなく状態です。

 

 

受験前日に「行かない」と言われた経験から

 

我が子は、中学校3年間、学校に行かない選択をしてきました。

 

 

だからこそ、受験前日に「行かない」と言われたとき、違和感と緊張がピークに達していることも理解できました。

 

 

私は、行かせるかどうかを迫るのではなく、

 

 

・行かなかった場合のプラン

・行けた場合のプラン

 

 

その両方を淡々と伝えました。

 

 

「どちらでもいいと思うよ」

「行かなくてもいいし、行ってもいい」

 

 

結果として、当日は受験に向かうことができました。

 

 

けれど大切だったのは、行ったかどうかではありません。

 

 

どちらを選んでも、関係が揺らがない状態を先につくったことでした。

 

 

実際に、受験期であっても、私は迷わず勉強以外の活動を否定することなく、心から応援しました。

 

 

それは、勉強から逃げさせたかったからではありません。

 

 

受験期であるからこそ、脳のコンディションを整えておくことがいちばん大事だと考えたからです。

 

 

材料は何でも構いません。その子が一番、興味や関心を向けられる分野で十分です。

 

 

コンディションが整ってくると、子どもは「〇〇したい」という欲を自分から出し始めます。

 

 

欲が湧くということは、行動しようと思えるエネルギーが戻ってきたサインです。

 

 

それは、人から与えられた目標ではなく、その子の内側から自然に湧いてくるもの。

 

 

私は、その背景に自分の気持ちを分かってもらえた経験の質と量が必要であることを、我が子を通して痛感しました。

 

 

受験は通過点。「考えられる関係」を取り戻すために

 

受験は、長い人生の中のほんの一つの通過点です。

 

 

今、挑戦できたなら、それはそれで十分。

 

 

たとえ行けなかったとしても、「一度はやってみようかな」と思えたこと自体が、大きな成長です。

 

 

子育てで迷ったとき、私はいつも自分に問いかけます。

 

 

「どちらの選択が、今、この子の脳を育てるだろうか」

 

 

子どもが自分の力で歩き出すために、親ができることは、まず「考えられる関係」を取り戻すことなのかもしれません。

 

 

そのために、何を手放し、どこに線を引けばいいのか。

 

 

その整理として、境界線についてまとめた小冊子を置いています。

 

 

今すぐ答えを出すためのものではなく、親子の距離感を一度立ち止まって考え直したいときに、手に取ってもらえたらと思います。

▶︎ 境界線の小冊子はこちら

 

今あらためて振り返ると、ここでお伝えしている判断軸は、受験や進路、行事すべてに共通しています。

 

 

「行くべきか」「行かせるべきか」ではなく、今、この子の状態にとってそれが経験になるのか、負荷になるのか。そんな視点で読んでもらえたらと思います。


卒業式こそ、自分の意見を持って臨もう!▼
https://desc-lab.com/miyatakanako/474/

 
タイトルとURLをコピーしました