さて今日は
「決断の資格は、
収入ではなく「命への向き合い方」
で決まる。」
というお話です。
今日は、
今まであまり詳しくは
お話ししてこなかった、
私の心の奥底にあった「呪縛」について
お話しさせてください。
「子育てを頑張っているのに、
私には、自分で決める資格がない」
ずっと、本気でそう思っていました。
私の夫は医師です。
仕事が大好きだった私は、
長男が1歳になる頃、
「仕事に復帰したい」と
彼に申し出たことがありました。
その時、
激しいバトルになったんです。
「子どもの面倒は誰が見るんだ」
「だったら俺が仕事をやめて、
子育てに専念する。」
そう突きつけられた時、
私は家計を丸ごと背負うほどの覚悟が
持てず、 自分のキャリアを諦め、
一時は家庭に入る道を選びました。
それからというもの、
夫が仕事に邁進できるよう、
私は「ワンオペ育児」を完璧にやり切る。
それが私の役割だと
自分に言い聞かせてきました。
でも、心のどこかではいつも、
夫や、夫の両親に対して、
言いようのない「遠慮」があったんです。
「私の残りの人生は、
このまま子育てと介護で
終わっていくんだ」
そう思えば思うほど、
自分という人間が消えていくような、
呪縛のような苦しさに
飲み込まれていきました。
子どもとの時間は、
確かに愛おしく、心から楽しい。
けれど、
半分は自分の人生を諦めているような、
「私であって、私ではない」空虚な感覚。

いつしか、
子どもの進路も、
関わり方も、
夫や義両親の期待に沿うように……
と顔色を窺い、
自分一人では、
何一つ大きな決断が
下せなくなっていました。
これ、実は私だけではないはずです。
日本には、
子どもが不登校になると、
なぜか母親一人がその責任を
背負わされる構造があります。
「お母さん、
家での関わりはどうですか?」
そう問われるのは、いつも母親。
それなのに、
いざ「子どものために学びたい」と
一歩踏み出そうとすると、
「夫に相談しないと」
「専業主婦だから私には決められない」
と、 決断の主導権を誰かに
譲ってしまう。
責任だけを負わされ、
権限は持たされない。
あまりにも不思議で、
あまりにも残酷な構造だと思いませんか?
子育ては、24時間365日、
終わりのない仕事です。
お子さんの癇癪を受け止め、
不安で眠れない夜に寄り添い、
体調や感情のわずかな変化を
一番近くで支え続けているのは、
お母さんです。
お給料も出ない、
休みもない、
誰からも評価されない。
ありとあらゆる役割を一人でこなし、
世界で一番大変で尊い役目を担っている。
そんなお母さんに、
「決める資格がない」
はずなんてないんです。
かつての私は、受講を迷っていた時、
「収入のない私が、
こんな大金を使っていいのか」と
自分を制止しかけました。
でも、
その時ばかりは思ったんです。
「この子の不調を救えるのは
私しかいない。」
「誰もこの子の未来に責任をとらない。
いいたいことを言えばいい、
私がやってみせる。」
息子が不調になったからこそ
自分の「生きるスタンス」を整えることに
気づき始めた瞬間でした。
決断を先延ばしにし、
息子に苦しい思いをさせる時間を
伸ばしたくなかったからです。
今ははっきりと言えます。
家庭内での決断資格は、
収入の有無で決まるものではありません。
それは、お金ではなく、
その子の「命」に誰よりも
向き合っている存在が、
決めるべきなんです。
子育ても、全く同じです。
誰よりもお子さんを想い、
毎日悩み、未来を変えたいと願っている。
その「切実な想い」こそが、
決断する最大の資格です。
私たちは、もっと自由でいい。
自分の人生を諦める必要なんて、
1ミリもありません。
あなたが「今の関わりを変える」
と決めることは、
お子さんの未来を救うだけでなく、
あなた自身の人生を、
呪縛から解き放つ第一歩になります。
鏡を見て、
笑えなくなっているお母さん。
自分の人生を半分諦めかけている
お母さんへ。
お子さんの笑顔と、
あなた自身の輝きを取り戻す未来へ、
一緒に大きく踏み出しませんか?

今日はここまでです。


