どんなに小さな子でも
”吃音に気づいていない
ことはない”
と言われているのは
ご存知ですか?
かなり早い段階から
吃音には気づいているけど、
はじめから嫌な感情を
持っているわけでは
ありません。
周囲の人のちょっとした一言、
ちょっとした表情の変化などで
自分の話し方はおかしいんだ、
と勘違いしたり、
症状が進行して、
話しにくさが強くなると
どもることに対して
ネガティブな感情を
持つようになります。
その結果、
誰も教えなくても
自然と工夫を始めてしまう
ようになります。
小さな子の場合、
体に力を入れて
勢いで出そうとする工夫、
そのほか手を叩きながら、
足で拍を取りながら話す工夫や、
中にはぴょんぴょん
飛び跳ねながら話す工夫、
小さな声でボソボソ話すと
どもりにくいことに気づいて、
ママの耳元でしか
話さなくなる工夫、
などさまざまです。
大きくなってくると、
言葉が増えてきて、
語の置き換えをしたり、
どもりそうな時は、
話さないという工夫も
始まります。
工夫して人前でどもらなくなれば
恥ずかしい想いをしないで
すむからいいじゃないか、
という意見もあります。
ご本人がそれでいい!
というなら、
私が意見を言うことでは
ありません。
ただ、我が子だったら、、、
と考えた時に、
私は吃音の隠し方をマスター
したとしても、
それは対症療法であって
根本的な悩みの解決に
なっていない、
と思っていました。
私のエゴかもしれませんが、
多少どもっていたとしても
娘には工夫などせず、
どもることなど気にせず、
話したいことを自由に
話してほしかった。
工夫をすると、
吃音の沼から
でられなくなります。
工夫することが習慣化して、
工夫しないと
人前で話すことが
できなくなるからです。
どもっていなくても
どもらないための工夫を
するようになります。
私は、娘が工夫しながら
話すのを見たくなかった。
工夫することが
良い悪いではなく、
娘にどんなふうに生きてほしいか、
と考えた時、
もっと自由になってほしい、
と思っていました。
続きはまた明日!