先日、これから講座で
一緒に学び始めるママから、
こんなお話を伺いました。
「子どもが毎日、
コップやペットボトルの水を、
床やテーブルなど
家のさまざまな場所にこぼします。」
「やめて」と厳しく叱っても、
また次の日にはこぼしている。
こぼすのは一瞬。
拭いて、着替えさせて、
濡れたものを洗うのはママです。
このママのすごいところは、
子どもはそういうもの。
と受け入れており、
そのこと自体を「困ること」
として認識していなかったこと。
どんだけ神なの?
と元ガミガミママは
尊敬の想いしかありませんでした。
こちらのママが
厳しくしても教えようとしていたのは、
食べ物や飲み物で遊んではいけない。
人を困らせる行動はしてはいけない。
という社会の常識でした。
母親としてやるべきことを
ちゃんとされていた。
けれども、娘ちゃんには
なかなか届いていかなかった。
発達科学コミュニケーション
を使えば、
ガミガミ叱らなくても、
水をこぼす行動を
やめさせることはできます。
けれど、私は、
”叱っても毎日繰り返す”
この子のことがとっても
気になりました。
水をこぼしている時、
この子はどんな目をしているだろう。
ただ勢いでこぼしているのか。
ママの注目を集めたくて
しているのか。
容器や場所を変えながら、
水の広がり方や染み込み方を
確かめているのか。
なぜ次は、毎回、
場所を変えるのか。
何がそんなに
この子の好奇心を
動かしているのか。
もう私のワクワクが
止まらなくなって
しまいました!
実は、私の娘たちも
赤ちゃんの頃、
食べ物の入った器を
ひっくり返すことがありました。
食べたくなくて、
嫌でひっくり返す
こともありましたが、
それとは、
違う時もあったんです。
ワクワクした目で
器をひっくり返し、
べちゃべちゃになった食べ物を
手でこねたり、
手でパチパチはねさせたり、
テーブルにこすりつけたり。
その目を見た瞬間、
「こりゃ、食べ物の感覚を
口だけではなく、
手でも観察しているな」
と、わかりました。
そこで、私は止めるのを
諦めました。
大人から見れば、
「食べ物で遊んでいる」。
子どもの脳では、
「押したら、どんな形になる?」
「手に付くと、どんな感じ?」
「混ぜたら、何が変わる?」
という探究が
始まっていたからです。

もちろん、
何でも好き勝手にさせる
という話ではありません。
危険なことは止める。
人や物を傷つけることには
境界を示す。
その上で、
場所や量を整えればできることは、
相談・計画・探究へ変えていく。
水をこぼす子に
本当に育てたいのは、
人の目を気にして
こぼしてみたい欲求を
抑える力ではありません。
いつか、
「ママ、次はお布団の上に
こぼしてみたい。
やってもいい?」
と、自分のやりたいことを
言葉で相談する力。
「やってみたらどうなると思う?」
仮説を立てる力、
「片づけが大変にならないように、
どこで、どれくらいやろうか?」
準備と後片付けも
考えられる段取り力、
これらを育てて、
「自分のやりたい」を叶える
脳のネットワークを
育てたくないですか?
実験好きの子は、
自分で片づけるところまで
計画する力は育てると、
のちのちラクです^ ^
すると、水をこぼすという
一つの困った行動が、
好奇心を言葉にする、
相手の都合を考える、
先を予測する、
方法を計画する、
という脳の発達へ変わります。
ママも、
「また仕事を増やされた」
と、水を拭くだけの毎日から、
「この子の好奇心を、
次はどんな力へ伸ばそう?」
と、わが子の脳を育てることに
ワクワクする毎日へ
変わっていきます。

負担が一瞬で
なくなるわけではありません。
同じ手間の中に、
子どもの発達が
見えるようになる。
すると、
「ママだから、やらなきゃ」
だった子育てが、
「この子がやりたいことを
できる脳を、もっと育てたい」
という、ママ自身の
やりたいことへ
進化していくんです。
子どもの「やりたい」は通過点。
脳の発達が、
そこへ進むための力です。
その力を家庭で育てることが、
ママの「やりたい」にも
変わります。
私は、吃音のある子に
ことばの練習を増やすのではなく、
こんな日常の経験から
考える力、
伝える力、
挑戦する力を育て、
吃音がよくなりやすい脳の土台を
つくっています。
個別相談では、
ママが今、
何度言っても変わらないと
困っている行動を
一つ持ってきてください。
その行動は、
止める必要があるのか。
発達につながるのか。
その子の「やりたい」を叶える
探究へ広げられるのか。
わが子の脳の現在地から、
ママが家庭でできる
最初の一手を一緒に見つけます。
▼個別相談の詳細はこちら
https://www.agentmail.jp/lp/r/24956/192759/



