運命的な仕事との出会い。不登校の子どもたちをサポートする先生のお兄さんは元不登校。~不登校のご家族インタビュー後編~

お兄さんが不登校から暴力を振るうようになって約10年。家族で一丸となって苦労を乗り越えると、妹さんには運命的な仕事との出会いが待っていました。不登校の子どもたちの先生として経験を活している妹さんにお話を伺いました。家族に大切なこととは?

1.不登校のお子さんだけに注力していませんか?

みなさんは、お子さんが不登校になったらどうしますか?

無理やり学校に引っ張ってでも行かせる、「学校に行ったら~してもいいよ」と言って行かせるなど、何らかの形で学校に行かせようと必死になる親御さんが多いのではないでしょうか。

不登校というだけでも、マイナスイメージで周りの目が気になったり、学力はどうなるの?と将来の不安から学校に行かせようとするため、その子どもだけに親は注力をしてしまいがちです。

そうすると、その兄妹姉妹は、お母さんやお父さんがその子だけに注力していると、面白くないし、寂しいのです。

その気持ちを、表に出して「ずるい」という子もいますし、隠して自分一人で頑張ってしまう子もいます。

お兄さんが不登校から家庭内暴力もあった10年間。そのことを周囲に隠しながら一人頑張っていた妹のMさんに、不登校の考えやお兄さんに対する本音などについて前編で伺いました。

『お兄さんが不登校経験者。家族の葛藤と本音から子どものこころを学ぼう~不登校のご家族インタビュー前編~』

後編では、Mさんがお兄さんから受けた影響と、自分の経験をどのように今の仕事に活かしているのか、そして家族についてを伺っていきます。

2.自分の経験を活かす「先生」の仕事との運命的な出会い

Mさんは、お兄さんが不登校になっても「両親を悪く思われたくない」「自分は不登校にならない!」と一人頑張った子ども時代を過ごしました。

それはMさんの人生にどのような影響をもたらしたのでしょうか。

―――お兄さんの不登校から立ち直るまでの10年は本当に長かったですね。Mさんはその間にも中学進学・高校や大学受験があったかと思いますが落ち着いて勉強とかできない状態だったのではありませんか?

「もちろん勉強どころではありませんでした。

中3の進路決めのテストでは、兄が一番荒れていた時期と重なってしまい、希望校には入れない成績になってしまいました。

先生には『おまえにはがっかりしたよ』と言われ、そして受験も失敗して、希望していない高校に入学したんですね。

それでも自分の決めた道だからと友達には笑顔で接し、頑張って通っていたのですが、家に帰ると好きなことをしてだらだらしている兄がいました。

毎日、『やってられない』『真面目に頑張ってきたのになんでこんなことになったんだろう』という気持ちでいました。

授業中もよく『なんで私はここにいるんだろう?』『あれもこれも兄のせい…』と思っていました。

そしてある日ふと、ぷっつり頑張りの糸が切れた状態というんですかね…その学校にはもう通えないと思い、通信制高校に転校したんです。

登校タイプの通信制高校で、そこで友達の悩みなどを聞きながら『いつか自分の人生の後半あたりで、困っている保護者、子どもたちの将来をサポートしたい』と考えるようになりました。」

―――今までの嫌な経験を忘れようではなくて、逆にそれを活かす方向を考えたのですね。

「いつかと思っていたので、大学では教員免許を取得したものの、卒業後はいったん一般企業に就職しました。

最初は仕事にもやりがいを感じていたのですが、職場の人たちの人間性に疑問を感じることが増えていきました。

この人たちのために心をくだいて一生懸命働いているのは何か違う、同じように一生懸命働くのであれば『エネルギーは困っている人のために使いたい』と思ってその会社は辞めました。

辞めて少しゆっくりしようかなと思いながらも、どこかいい就職口がないかなと検索していたときに、たまたま今の職場の募集が目に留まって。

それが、不登校の子どもたちをサポートする先生の仕事だったんです。

教育理念などを読み共感し『私がやらなければ誰がやるんだろう。今までの経験を活かす時だ』と思って、すぐ応募しました。」

―――これこそ運命ですね!!今までの経験がなかったらきっと募集を見ても響かなかったのではないでしょうか?

「まさしく運命だったと思います。引き寄せたというか…

保護者の方に『先生に救われた』とか『先生のおかげでうちの子の人生は変わりました』と言っていただくと、今までの苦労はこのためにあったのかと思いますね。」

―――それでいつかはと思っていたことを実現させて、経験を活かした仕事をしていらっしゃるんですね。

「はい。経験が活かされていることは日々感じています。

もちろん両親には支えられてはきましたけど、つらい思いをたくさんして、自分の認識の中では一人で背負って頑張ってきたという思いがあります。

だれにも言えずに抱えていたので、孤独を感じることも多かったですね。

「何かあったら言ってね」「あなたの話は全力で聞くよ」
「つらかったね」「よく頑張ったね」「大変だったね」

当時、誰かに言ってほしいと思っていた言葉を今、子どもたちに言うことができているのは、やはりその時の経験があるからこそです。

将来に悩む子どもや保護者のお話を聞いていると、あのころの兄、両親、自分と重なって、とても他人事とは思えなくて…

同じ思いをしてほしくない、少しでも救われてほしいという気持ちが原動力になっていますね。」

―――
Mさんは、お兄さんが不登校になって、人の心理や不登校について考えるようになり、高校生の時にいつか仕事にしようと思っていました。

経験をネガティブに捉えず、ポジティブに変換してその思いが人生を変えたのですね。

経験者だからこその考えや思いが今に活かされていることは、まさに運命を引き寄せたとしか言いようがありません。

このようにお兄さんの不登校から運命が大きく変化をしたMさんですが、ご家族との関係はどうだったのでしょうか?

3.家族は一丸となって戦った戦友です

ここからはMさんのご家族についてお話を伺っていきます。

―――ご両親はお兄さんの対応が大変でMさんの心のケアまでは手が回っていなかったのではないかと、今更ながら心配してしまいましたがいかがですか?

「そうですね。自分の気持ちは伝えてはいましたが、特に父は私がここまで葛藤していたことには気が付いていなかったようです。

しかし、両親とも苦労をかけて申し訳ないという気持ちがあったようです。」

―――Mさんはご両親にもっとこうしてほしかったということはなかったですか?

「あえて一つ言うならば、兄が中2のころ、たまに学校に行くことがあってその時に、本人としては気合を入れるために髪をワックスでヘアセットして登校したんです。

すると『今日ワックスをつけて学校に来ましたけど、校則違反なので厳しめに注意しました。これで来られなくなるならしょうがないですね』と母が言われたことがありました。

当時は先生が絶対的な存在だったということもあるのですが、校則を破ったことに対して申し訳ないと謝り、受け止めてしまいました。

校則を破ったことは悪いことですが、勇気を出して頑張って学校に行った兄の気持ちに少しでも寄り添ってくれてもよかったのではないか…

私としては、毅然とふるまって兄を守ってほしかったですね。

でも、両親が悩んだり、状況を変えるために行動する姿を見てきて、そんな中でも私を気にかけて優しい言葉をかけてくれたりしていたので、これ以外には特にどうしてほしかったというのは思い浮かばないです。」

―――Mさん本当に頑張ってきましたね。ご両親がMさんを気にかけて優しい言葉をかけ続けてくれたことが、支えになったのだと思います。同じ母親として気になるのは、お母さんは専業主婦で家におられた。日中一人で大変だったのではないかと思いますがいかがですか?

「家族とは、一緒に戦った戦友のような感じです(笑)

母は不登校の親の会に参加していて、情報収集や同じ境遇の人と悩みを共有することで、『自分だけじゃない頑張ろう』と思えたと話しています。

私も当時は時々一緒に親の会に行って、いろいろな人の話を聞きました。

そのことも今の仕事に活かされていますね。

このように安心する場所があり、母はもともと明るい人だったことと、会でいろんな人の話を聞き、落ち込んでばかりではいられないと時間をかけて前向きな気持ちを持って行ったようです。」

―――お母さんも、ご両親想いのMさんとの関係が良かったということと、不登校の親の会の存在できっと救われていたのではないでしょうか。Mさんもそこで得たものが今に活かすことにつながってますし、こういう場所は必要ですね。

「お母さん方には、ぜひそういった拠り所を一つでも見つけてもらえればいいなと思います。

しかし、そこで聞くアドバイスは不登校の人すべてに当てはまるわけではないので、自分の子どもにはどんな向き合い方があっているのかよく考えてほしいです。

一人一人の子どもと心から向き合って向き合い方を模索していくということが、自分の経験も踏まえて大切だと言えますね。」

―――
お兄さんの不登校からの家庭内暴力は、お母さんのあきらめてはいけないという明るさと、頑張り屋さんの妹Mさんとの良好な関係により、家族が一丸となって乗り越えることができたのです。

つらい経験を家族と乗り越えることができたことで、家族のあり方や幸せについて考えるようになったともお話されていました。

Mさんと良好な関係を作るためにも、お母さんは悩みを共有する場所で気持ちをリフレッシュさせることが必要でした。

私たち親も、あまり不登校にとらわれず自分が楽しめること、リフレッシュできる場所を見つけると、子どもたちにも余裕をもって対応ができますね。

今はお母さんもMさんもそしてご家族全員、おだやかな生活を送っているそうです。

4.不登校は周りのとらえ方で変わる

―――最後にMさん、お兄さんが不登校経験者の妹というお立場から、不登校でお悩みのお母さんにメッセージをいただけますか?

情報を集めたり、広い視野を持ったり、決めつけたりせず人の意見やアドバイスを取捨選択しながら、いろいろ子どもに合う対応を模索してほしいですね。

よく言われることですが、お母さんは元気で明るくが一番です!

でもお母さんも人間で神様仏様ではないのだから、いつも元気で明るく笑顔でいるなんて不可能だと思います。

頑張りすぎたらお母さんが倒れてしまうので、吐き出す場所や楽しみを見つけてほしいなと思います。

そして子どもの気持ちを受け入れて、学校に行かないことは悪いことではない『あなたが元気で生きていさえすればいい』ということを伝えてほしいです。」

―――
今回、Mさんにお話を伺って、お兄さんの不登校からの暴力そして立ち直るまでの10年以上の葛藤が家族やMさんの人生に大きな影響を与えたことがわかりました。

記事では書ききれないほどの、たくさんの苦労と葛藤があったことでしょう。

子どもながらに自分のことよりも両親のことを考え、「自分は不登校にはならない」と頑張っていた姿を想像すると、胸が詰まります。

大変な経験があったからこそ、それを活かす職場にたどり着き、そして困っている親子に当時自分がかけてもらいたかった言葉をかける。

親子にかける言葉で相手の表情が柔らかくなったとき、昔の自分が癒されているようですと語るMさんの笑顔はとてもかわいらしく少女のようでした。

不登校に対する、家族や周囲のとらえ方が、子どもたちに大きく影響することもわかりましたね。

子ども一人一人に、不登校に対しての感情やとらえ方があります。

親はそういったそれぞれの子どもたちの感情を理解して、気持ちや考えを聞く、一人一人と一緒に過ごす時間を取るなど、子どもとの接し方を考えることが大切なのです。

私も、Mさんと同じように不登校経験をポジティブに変換し、それぞれの子どもに向き合って、将来何らかの形で活かすことにつながるように子どもたちを導いていけたらと思っています。

Mさんのお話が、学校に行くということよりも、子ども一人一人と向き合うこと、家族みんなが元気に仲良く暮らせること、これが大切だと思うきっかけとなることを願っています。

執筆者:渡辺くるり
(発達科学コミュニケーションリサーチャー)

不登校をポジティブに変換して子どもたちに明るい未来を見せましょう!

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