1.子育てを一人でがんばっている感覚
不登校になると、これからの進路はどうするのか、この先の将来がまったく見えなくなって心配になりますよね。
「このまま勉強をしないで大人になったらどうなるの?」
「社会性はどうやって育てたらいいの?」
など、お母さん自身もどうしたらいいか悩んでいると思います。
さらにお子さんの父親に協力してもらうこともできず、周りの関わる人に心配されると、子育てを一人でがんばっている感覚や不安に押しつぶされそうになるときもあるのではないでしょうか。
今回お話をうかがったのは、子育て中に頚椎損傷と脳の血腫による障がい者となり、障害平等研修(DET)のトップファシリテーターとして活躍しながら二人の娘さんを育てているシングルマザーの石川悧々さん。最近はドキュメンタリー映画に出演されています。
※障害平等研修(DET):障害者差別解消法を推進するための研修で、障害者との対話を通して、多様性を基礎にした共生社会を作る行動を促す障害教育プログラム
石川さん出演のドキュメンタリー映画『ラプソディ オブcolors』が、2021年5月29日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開されます。
石川さんは、子育て中に離婚、そして障がい者となってしばらくして、娘さんが中学生の時に不登校となります。
このような経験があっても、とっても明るく、障害の有無や年齢・国籍・性的指向に関わらずみんなが楽しいと集える場所「バリアフリー社会人サークルcolors」を立ち上げるほどのパワフルお母さん。
「お母さんたちに、自分もそうだ!とか、安心して元気になってほしい!」と、自分がどんな状況でも、子どもが不登校でも大丈夫だと思えるお話をしてくださいました。
2.シングルマザー・障がい者となって数年後に娘が不登校
ーー石川さんは娘さんが二人いらっしゃって、下の娘さんが中学生のとき不登校だったということですよね。きっかけはなんだったのでしょうか?
「子どもは今、大学4年生の長女と、定時制高校4年の次女の二人です。次女はアトピー性皮膚炎がひどく、中学生の多感な時期に、皮膚が赤いのをお友だちに見られたくないとか、また体調を悪くして学校をお休みするようになって、行かなくなりました。
私も最初は、悩みました。学校に行かないなんてどうしようと思って眠れなくなったり、アトピーなど、体を弱く生んでしまって自分のせいだと自分を責めたり…」
ーーそうだったのですか…娘さんも石川さんもつらかったですね。そのころはもう障がい者になられていましたよね?
「私が障がい者になったきっかけは13年前、カイロプラクティックに行って首をゴキっとやられて、一時は寝たきりに。手術がうまくいったので、歩けるようにはなりましたが、左手の握力は0、右手が3とかで、上半身をずっと起こしているのがつらいし、色々後遺症みたいなものはありますね。」
ーーえっ!そんなことがあるのですか…⁈
「そうなんですよ(笑)」
ーー障がい者になってからシングルマザーになられたのですよね?
「長女が7歳で、次女が5歳の時ですかね。夫とは、子どもが小さい時から離婚しようとは考えていました。
次女は、歩くのも遅くて足の神経になにかあるかもとか、歩けるようにならないかもと言われていました。しばらくしたら歩けるようになりましたけどね。
それにプラスして、感覚過敏がひどかったために着られない洋服も多くて…夫は、ちょっと何かが触れるだけでパニックを起こし泣き出したりすることが受け入れられなかったのかもしれません。
2年半かけて調停離婚しました。」
ーー障がい者になられた理由がびっくりしました。離婚そして娘さんが中学生の時には不登校になって悩まれたという、衝撃的なお話すぎて言葉が出ません…ここまでのお話をするにも暗い顔を一つせず笑顔でいらっしゃるのがすごいです。
きっと今、娘さんたちと楽しい時を過ごしていらっしゃるということなのでしょうね。
3.不登校中に「スーパー中学生」と言われた次女
シングルマザーとなり仕事でDET研修のトップファシリテーターとして活躍しているとき、娘さんが不登校となり、どのように過ごしていたのか、そして現在のことについて伺っていきます。
ーー不登校はいつからで、その間はどのように過ごしていたのでしょうか?
「中学校に入って1か月たってから行かなくなりました。それからは卒業まで中学校には行っていません。
不登校の最初は悩みましたよ。本人が『行きたくない』と言い出してから2週間くらいは『行け行け』と言っていましたが…
“行きたくないならしょうがない”と思い、昼間に暇ならと、DET研修の仕事に連れて行きました。
そこで、受付の手伝い、聴覚障害の方が参加するときの文字通訳を、パソコンで打つ仕事をやらせてみたらとても早くて(笑)
若い子のほうが大人よりも、早いし聞くチカラもあるし、文字通訳ができるようになってみんなに『すごい、すごい』『スーパー中学生だね』『学校に行っていたらこんな経験できないよね』といわれるようになって不登校のコンプレックスがない不登校児でした。
娘は今も『中学行かなくてよかった』と言っているくらい、不登校でも自己肯定感を高く持てていました。
今は、コロナ禍でオンライン配信も多くなったことで、著名人や政治家の方の字幕放送の文字修正者として参加するようにもなりました。
自分は”学校に行っている子たちよりもすごいのだ”と、勝手に思い込んでいるみたい(笑)
©︎daisuke shibata
ーーいいですね!こうして周りの人たちの役に立つことでみなさんが肯定してくれて、自信をつけていく。環境が大事ですよね。
「環境は大事です。私のヘルパーさんも子どもの頃に不登校経験があったり、友だちも『1年学校行かなかったけど、こうして働けているよ』という人もたくさんいて、娘にとっても私にとっても不登校でも社会に出てやっていけている人の話が聞けて、自然と不登校を受け入れられたので良かった。
ーー親が不登校を受け入れられないと、子どもたちはきびしいです。
「そうですよね、そこでこじれちゃったり、子どもがうつになってしまったり、かわいそう。よく聞くと不登校経験ある人がけっこういてめずらしい話じゃないなと思う。
DET研修は障がい者がファシリテーターなので、発達障害でも、知的障害でも、言語障害でも、そして元不登校でも、ちゃんと社会人となって仕事しているというのがわかったので、私も学校へのこだわりや、娘の将来に不安はなくなりましたね。」
ーーみなさん不登校の先がわからないので不安になって、子どもに勉強しなさい、学校に行きなさいと言ってしまいますが、次女さんは、お母さんに理解してもらい、早くに仕事を任されることで自信をつけていったのですね。現在チャレンジスクールの4年生ということですが、この進路はご自身で選択されたのですか?
「娘本人が決めました。
中学を不登校していて行くところがないとフリースクールを考えましたけど学費が高くて、シングルマザーではとても無理。自治体でやっている適応教室の先生が、一緒に縄跳びをしてくれたりして楽しいという噂を聞いて、中学3年生の6月から通うようになりました。
アトピーで夜眠れない、体調が悪いとかありましたけど週に何回か行っていましたね。そこの先生たちが『チャレンジスクールだったら、絶対に入れるから“高校に行けない”とか“大人になったらどうしよう”とか考えなくていいよ』って最初に言ってくれて…
※チャレンジスクール:東京都で小・中学校で不登校だったり高校を中途退学したりした生徒さんで、「高校でもう一度がんばりたい」というお子さんに対して、支援教育を行う昼夜間3部制の定時制・単位制・総合学科のこと
そこで高校も行こうと娘が思ったみたいで、先生たちが『ここがいいよ』と学校見学も一緒に行ってくれたりしました。
ーー見学も一緒に先生が行ってくれたのですね。
「そうそう。私は全くノータッチで願書を出しに一緒に行ったくらい(笑)
チャレンジスクールとエンカレッジスクールや学び直して大学受験を目指す、勉強を目的とする高校なども連れて行ってくれましたね。
※エンカレッジスクール:「励ます」とか「力づける」という意味。こちらは、可能性を持ちながらも力を発揮できなかった生徒さんに対して、やる気を育て、社会生活を送る上で必要な基礎的・基本的学力を身につけることを目的とした、学年制の全日制高校
※東京以外の大阪・神奈川でも学び直しができる学校があります。
適応教室には、自学で有名高校に入った子もいますよ。不登校だから勉強ができないと決めつけることもないと思いますね。」
ーーいろんなタイプの不登校があるなと感じています。
「今、学校は心も体もある一定レベルの人がいいとするじゃないですか。勉強ができすぎても叩かれる、できなくても叩かれるし、運動もそう。
”人間の平均的なところが最高”という考え方をやめないと不登校はなくならない。”色々な人がいるのが当たり前なのだ”ということを前提とした社会・学校にしないと。これは社会的な問題です。教育の在り方を見つめ直していく事が必要だと思います。」
ーー本当に、その通りです。人はそれぞれいいところも悪いところもあると、一人一人が認めて、いいところを伸ばすことを考えた教育にシフトしたほうがいい時期にきているのではないでしょうか。
自分の仕事を手伝ってもらう、大人の社会を見せることも教育ですし、子どもの可能性を信じて、いいところを伸ばせる環境を用意してあげることも必要ですね。
4.子どもが楽しいと思える人生の歩ませ方
今回のお話は、不登校児を抱える私もそうですが、”将来が不安”と不登校で悩まれている親御さんに一筋の光を差し込むものになったのではないでしょうか。
障がい者だからとか、不登校だからといって人生が終わるわけではありませんよね。
親の状況がどうであれ、考え方次第なのだなと思うのです。
ーー石川さんが子育てで大切にしていることはなんですか?
「干渉しない!これにつきます(笑)
長女は『勉強しなさい』といわなくても、公立の大学に進学しました。私が障がい者ということもあり、16歳の時にガイドヘルパーの資格を取りました。
就職活動ではその経験や知識で、”SDGsが言っている【誰一人取り残さない】仕事ができます!”や”マイノリティへの配慮の提案ができます!”ということを強みにするといいよとアドバイスはしていますけど…
※SDGs(エスディージーズ):「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり、2015年9月に国連で開かれたサミットの中で世界のリーダーによって決められた、国際社会共通の目標
次女は、小さい時から探し物や忘れ物が多くて、日に何度も一緒に探したりすることがあり、発達凸凹があるのかなと思うこともありました。
だけど、『この人はこういう人なのね、しょうがない』と考えたらイライラはしなかったですね。
自分が障がい者になってからは、他人への寛容度や理解度が高まったので誰に対してもイライラしなくなって、より人に干渉しなくなったかもしれません。」
ーー最後に、不登校でお悩みの親御さんに一言あればお願いします。
「娘は『大人だって中学の数学解けないでしょ』と言うんですよ(笑)社会に出て使わないじゃないですか。それよりは、不登校の間に自分が好きな事とか、これならできるというものを見つけさせてあげるほうがいいのではないかな。
それが自信につながるし、将来それで身を立てられるかもしれない。
身を立てられなかったとしても、子どもに人生終わっちゃう的なことをいうのではなくて、学校に行かないのならば何か一つできること見つけよう!と行動してみる。
そうすることで、その子の自己肯定感もあがるので、そのサポートを親はするべきじゃないかと思いますね。」
ーー石川さん、ありがとうございました。
石川さんのお話、いかがだったでしょうか?
私は、子どもが不登校になったときには、家族と意見も違うし一人で育てているような感覚がありました。
しかし、石川さんのお話を聞いて、シングルマザー、夫婦揃って等、親に何があろうとも子育ての目標は「子どもの自立」であると思うのです。
自立までの道のりで、学ぶところが学校なのか、家なのか、それ以外の場所なのかは、子どもに合った環境があれば子どもはぐんぐん伸びていくのだなということがわかりました。
勉強はいつでも学び直せるし、そういった学校も、学校でなくても場所は調べたらあります。
不登校で家にいて社会性が心配ならば、思いきって大人の社会に連れ出してみる、何か役割を与えてみるというのもありなのではないでしょうか。
子どもを子どもという目ではなく一人の人として見て、認めること。
石川さんのおっしゃる「干渉しないこと!」で、娘さん二人もお話から自分の意思をきちんと持ち、自立している印象を受けました。
同じ「かんしょう」という言葉でも、違う意味の、お子さんの人生のステージを観客席から見守るように「鑑賞」を心がけてみませんか。
お子さんがありのままでいられる、そして楽しい人生のステージを歩めるように、私たち親はサポートしていきましょう!
石川悧々(イシカワ リリ)さん
神奈川県川崎市生まれ。自身も頚椎損傷と脳の血腫による障害者であり、DET(障害平等研修)のトップファシリテーターとして活躍。強烈な個性で聖女とも魔女とも称される。電動車椅子と三輪自転車を使い分けながらの行動力と、その楽しげな大きな笑い声には驚かされるばかり。「バリアフリー社会人サークルcolors」の主宰者のひとりであり、たくさんの人を惹きつけるが気に入らない人は一刀両断。
映画『ラプソディーオブcolors』が制作されるきっかけとなった人物。大学生と高校生の娘さんと暮らすシングルマザー。
【バリアフリー社会人サークル colors facebookページ】
ドキュメンタリー映画『ラプソディーオブcolors』
これは演技なのか素なのか⁈「バリアフリー社会人サークルcolors」に来る人たちが、繰り広げる日常の
多様性だらけ。なんでもありでいいじゃん精神が炸裂!社会の多様性や共生社会ってなんなの?を考えさせられる映画です。2021年5月29日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
執筆者:渡辺くるり
(発達科学コミュニケーションリサーチャー)
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