発達障害や不登校の子への特効薬とは!?社会人になって大活躍するカイロプラクターの成長ストーリー【後編】

不登校中の勉強はゼロ!それでも、高校・専門学校進学を選択したきっかけと、一歩前に踏み出せた家族の関わり方とは?また、不登校の子をサポートするようになってから伝えている「不登校の子への特効薬」を伺いました。
 

【目次】

 

1.中学への再登校、高校・専門学校進学を決めたきっかけと家族のサポート

 
 
前編では、元不登校・現カイロプラクターの四方和貴さんに家族との関わりの変化や、不登校中のユニークな過ごし方について、お話を伺いました。
 
 
前編の記事はこちらです。
 
 
中学3年生になり、四方さんは再登校し、高校進学を自分で選択していきます。不登校中や進学後の勉強について、またそこでの家族の関わり方について、さらにお話を伺いました。
 
 

――中学3年の途中で再登校をするようになったと伺いました。どんなきっかけがあったのですか?

 
 
「気持ちもスッキリするので、その日も庭の木を切っていたんです。すると、木を切りながら『俺は、なんで学校に行っていないんだろう?』と、突然そんな疑問が湧いてきました。
 
そして、どんどん『学校に行ってみたいな。』という思いに駆られてきたところに、当時の担任が家に来てくれて、保健室登校に誘ってくれました。
 
 

――カラダを動かすことで、気持ちが前向きになったのですね。再登校に不安はなかったのですか?

 
 
「自分で決めたことだったので、迷うことなく学校へ行きました。
 
担任には、『本当に来れたんだね!』と驚かれたのですが、それでも初めて認められたような気持ちになり嬉しかったのを覚えています。」
 
 

――自分で決めるって、大事ですね。保健室登校中は、どんな過ごし方をしましたか?

 
 
「午後1時から登校していました。でも、実は保健室登校は2日間だけで終わりました。保健室にいると、暗い相談をしにくる生徒が多くて、自分はここにいるべきじゃないと思ったんです。
 
暗い相談から遠のきたくて、すぐに教室登校に切り替えました。しかし、教室登校も長続きせず、1週間も経たないうちに、再度不登校になりました。」
 
 
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再度不登校になったにも関わらず、高校受験を希望したきっかけはなんだったのでしょう?この後、不登校時代勉強ゼロでも、高校進学、専門学校卒業できた理由もお聞きします!
 
 
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――再度不登校になっても、高校進学を決めたきっかけはなんですか?

 
 
「本当は、高校受験を決める前に『これまで家族に迷惑をかけたし、家を出て、中卒で板前になる』と、両親に話していました。
 
でも、父親から『これからのことを考えたときに、高校で資格を取ったらどうだ?お前がやりたがっている野球もできるところで。』とアドバイスされました。
 
確かに、当時、巨人の上原浩治選手の『雑草魂』という言葉が心の支えで、『僕も雑草だけど、強く生きたい』と思っていたし、その影響で『野球をやってみたい』と思っていました。
 
いつもなら、父親にそんなことを言われたら、反抗的な態度になりそうですが、このときの父親の言葉は、すんなり受け止めました。
 
父親は、『板前は、本当に僕がやりたいことではない』と見抜いていたのかもしれません。
 
そこで、家庭訪問に来た担任に『高校で野球をやりたい』と相談しました。
 
ちなみに、僕は、不登校中、一切勉強をしていませんでした。教科書も一度も開いたことはありません。両親からも、『学校へ行っていないんだから、勉強しなさい!』いうことは、一度も言われませんでした。
 
そんな勉強ゼロ!で過ごしてきたため、受験勉強も間に合いません。そして、出席日数もほぼゼロ!内申点もオール1!
 
なので、それでも推薦で入れるところにしようと、『資格が取れるところ、野球部があるところ』の条件を満たす私立高校を、担任が探してくれて、無事に入学できました。」
 
 

――やはり、「やりたいこと」は人を強く動かすのですね。それで、高校で念願叶って野球部に入れたのですね!

 
 
「いや、これが、入らなかったんですよ(笑)
 
両親から、グローブも買ってもらって、『よし、入ろう!』と見学に行ったんですが、入部しませんでした。
 
野球ってチームでやるもので、監督の言うことを聞かなきゃいけない、という現実が分かり、それまで一人で過ごしてきた僕にはハードルが高すぎました。
 
また、電車通学で1時間かかり、これまで不登校だった自分が、学校へ行くだけでも頑張っているのに、部活まで入ったら、負荷がかかりすぎる、ということもありました。」
 
 

――グローブまで買ったのに、ご両親は何も言わなかったのですか?

 
 
「何も言いませんでした。両親との約束で、資格を取ることだけは決めていたので、それさえ守れれば、あとは何も言いませんでした。
 
でも、グローブを買ってもらったときは、本当に嬉しかったです。高校時代は使えなかったけど、今、大事に使っています。」
 
 
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自分で決める姿勢を見守り、後押ししたご家族のサポートがあって、高校進学まで繋がったのですね。次に、高校進学後の勉強や社会人になってからの学びの姿勢や困ったことについて伺いました。
 
 
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2.高校と専門学校と計6年間皆勤賞!進学後、社会人になってからの学びの姿勢と困ったこと

 
 

――さて、中学で勉強ゼロだったのですが、進学後、何か困ったことはありましたか?

 
 
「高校に入ってから、英語や数学で中学の基礎知識がないから、何もわかりませんでした。ローマ字も知らなかったので、パソコンの授業でローマ字をどう打つか分からず、『これは勉強しないと、まずいぞ!』と、初めて焦りました。
 
勉強は、高校の同級生に、いつも教えてもらっていました。公式など基本的なことだけを教えてもらい、帰宅してから、自分で必死に調べて勉強しました。
 
というのも、中学が不登校だったことを隠して『授業は寝ていたから知らない』と言っていたので、全部分からないとは言えなかったんです。
 
家族にも、『不登校だったから分からないんでしょ!』と言われるのが嫌だったので、勉強のことは一切聞きませんでした。
 
とにかく、不登校だったことがバレたくなかったので、必死で調べて勉強しました。だから、高校での成績は良く、クラスで2、3番だったんですよ。」
 
 

――勉強ゼロだったのが、そんなに学ぶようになるのですね。勉強以外で困ったことは、ありましたか?

 
 
「ありました!高校、専門学校と、自分の目標は『学校へ行く』だったので、おかげさまで6年間皆勤賞で登校できました。
 
けれど、不登校から、突然6年連続登校したことによって、逆に『休む』ことが怖くなってしまいました。
 
1日でも休むと、もう行けなくなってしまうんじゃないか?と不安になり、社会人になってインフルエンザになったときに休めず、40度のまま出勤し、上司に怒られました。
 
そして、一番大変だったのは、不登校だったことを、友人たちや同僚にずっと隠していたことです。
 
つい3〜4年前まで、不登校だったことを言えませんでした。不登校だったと知ったら、相手にマイナスのイメージになるんじゃないか、と不安だったからです。
 
だから、中学時代の思い出話をするときなど、中学時代は不良だったから、そんな思い出はない、と不良キャラを演じることもありました。」
 
 
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自分で学ぼうとする力は、大きいですね。
 
 
その一方で、根底にある「不登校は、悪いこと」という考え方のために、不登校だったことを隠さざるを得ないという、生きづらさを感じていたということも分かりました。
 
 

3.カイロプラクターとして不登校サポートをして感じる「子どもたちと母親の自己肯定感の低さ」

 
 
一度は、社会人として建設関係の仕事に就いた四方さんですが、小学校から悩まされていた頭痛がカイロプラクティックに出会ったことで、原因がわかり、みるみる改善されました。
 
 
そこで、自身のこれまで体験から、姿勢の悪さが、体と心の不調にもつながることを知り、自らもカイロプラクターになって、不登校の子の体と心のサポートをするようになりました。
 
 

――カイロプラクターとして、多くの不登校の子の体と心をケアしてきた中で、気づいた点などありますか?

 
 
「僕もそうでしたが、圧倒的に姿勢が悪い子が多く、それが原因で体と心の不調につながっています。体を元気にしないと、やはり前向きにはなりにくいんです。
 
そして、不登校の子のお母さんが、一番疲れています。
 
僕自身もそうでしたが、常に自分が嫌いでした。いつも学校へ行けない自分を責めていました。だから、自分が学校へ行けないのに、親が責められるのが辛かったんです。
 
特に、周りから責められるのは母親が多いですし、母親の表情がよくないと、『また、何か言われたのかな?』『また、僕はダメなことをしたのか』と、一喜一憂していました
 
逆に、母親が笑っていると、とても嬉しかったし、安心できたんです。」
 
 

――お母さんの表情は、子どもたちみんなが見ているのですね。

 
 
「はい。だから、まずお母さんたちが元気にならないと、子どもたちは元気になりません。
 
子どもたちの良いところを見つけて、認めてあげるには、まずお母さんたちが認められて、笑顔にならないと、お母さん自身も誉め方や、認め方は分からないんだろうな、という結論になりました。
 
だから、不登校の子のカイロプラクティックの施術をするときは、まずはお母さんも一緒に施術して、話を聞き、お母さん自身を褒めて笑顔になってもらうところから、始めています。」
 
 
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インタビューを通して、四方さんは、ご自身の体験から、お母さんの笑顔があるだけで、「不登校の子どもたちは安心感をおぼえ、自己肯定感を育むことができる」ことに気づき、お母さんを笑わすことを大切されていることがわかりました。
 
 
これまでの経験があったからこそ、カイロプラクターとして、四方さんしかできない不登校の子への体と心もサポートができ、周りから必要とされ活躍されているのですね。
 
 
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4.発達障害の有無に関わらず不登校の子へ、お母さんが笑顔で「褒める」「必要とする」テクニック大公開

 
 
今回のインタビューで、一番印象に残ったのは、不登校の子は、とにかく自分を責めているということでした。
 
 
普通に学校へ行くことさえできない。
学校に行かない自分は悪い子だ。
自分なんて生きていてもしょうがない。
家族も自分のことは分かってくれないから、話をしてもしょうがない
 
 
発達障害やパステルの子たちは、発達の特性や、これまでの失敗経験の多さから、ネガティブな思考になりやすく、また、マイナスの記憶が強く残りやすいのが特徴です。
 
 
だからこそ、お母さんの笑顔が必要なのです。
 
 
お母さんが、とにかく笑顔でいて受け入れてくれると、学校へ行かなくても、お母さんは自分を認めてくれていることがお子さんに伝わります。
 
 
認めてくれる人がいるから、自信がもてる。
自信がもてるから、新しい行動(挑戦)もできる。
家族は自分を分かってくれるから、思っていることを話そう。
 
と、家族とのコミュニケーションが増えていきます。
 
 
とは言っても、荒れている子どもとの関係をどこから修復すればいいのか?と悩まれているお母さんもいるかもしれません。
 
 
そんなときは、「ちょっとお願いをしてみる」という、発達科学コミュニケーションのテクニックがあります。
 
 
この「お願い」を通して、コミュニケーションが積み重なり、「自分は必要とされている」「誰かの役に立っている」という自信につながります。
 
 
最初から、難しいことを頼むことはしません!
 
 
◆レベル1
 
・そこのお醤油とってくれる?
・ティッシュ1枚ちょうだい!
 
 
◆レベル2
 
・ママが仕事の間、自宅警備隊(お留守番)をお願いします!
 
 
◆レベル3
 
・できたらすごいと思うんだけど、夕ご飯にカレーを作ってくれる?
 
 
すぐにレベル3を目指すのではなく、とことんレベル1を行ってみてください。レベル1でも、コミュニケーションは十分効果があります。
 
 
思い出して下さい。好きな人から、何か物を手渡しされるだけで、ドキドキしませんでしたか?そのとき、手が触れようもんなら、心がキュン!としませんでしたか?
 
 
物の受け渡しは、相手と直接やりとりするので、脳への刺激も多いのです。とても簡単なので、試してみてください。
 
 
そして、お願いをやってくれたら、即、具体的に褒める。笑顔で感謝する。ここが一番肝心です。
 
 
その褒め方にも、効果的なテクニックがあるので、気になる方は個別相談をしてみてください。
 
 
最後に、四方さんからの不登校に悩んでいるお母さんへのメッセージです。
 
 
 
 
「子どもが心配だから、仕事やめるとか、やめてくださいね。
 
子どもは、子どもで不登校を選んで決めたんだから、子どもの決めたことを尊重して、『じゃ、どうしてく?』と前向きに返してほしい。
 
子どもの夢を聞いてほしい。夢を応援してほしい。
 
そして、お母さんたちに、子どもを褒めてほしい。だから、僕はお母さんを褒めています。ただ、それだけです。」
 
 
四方さんの想いが、皆さんに届きますように。
 
 
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執筆者:松尾まりか
(発達科学コミュニケーションリサーチャー)
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