していい過干渉、してはいけない過干渉

私の過干渉、白状します!

 
 
私はこれまで過干渉
いっぱいしてきました。
 
 
なんだったら、
つい最近もやってたな!と
思うことがありました。
 
 
だからこそ、白状します。
私のような体験をしている人へ
忠告も兼ねて。
 
 
していい過干渉
してはいけない過干渉
あると気づきました!
 
 
実体験を通し、
感じたこと、学んだことを
お伝えするのが私の使命です。
 
 
教科書通りではなくても
お医者様や専門職の人にはない、
家庭のリアルを
そのまま届けたいと思っています^^
 
 
 

過干渉、それは親の不安から始まります!

 
 
 
 
私には2人の息子がいます。
 
 
長男は高2、
次男は中3です。
 
 
長男には小4の時から
はじめた、ミニバスで
それはそれはひどい
過干渉でした。
 
 
このお話は
いろんなところで
してきているので、
今回はパスします。

結末は激しい家庭内暴力です。
 
 
今回はADHDの特性があり、
二次障害があった、
中3次男のお話です。
 
 
次男は、小5の夏に
ADHD(注意欠陥多動性障害)
と診断がおりました。
 
 
完全に二次障害症状が
出ていたのですが、
 
 
それまでの
激しかった攻撃性が
 
 
お薬の効果と、
周囲の関わりの考慮もあって
穏やかになってきた頃に
 
 
突然のコロナ休校
 
 
当時の次男の
モチベーションだった
ミニバスの練習、試合が
激減しました。
 
 
低学年の頃から苦手だった
宿題は、試合に出るために
必死になって
取り組んでいましたが、
 
 
試合がないので、
全く、取り組めなくなって
しまいました。
 
 
次男を宿題嫌いにさせたのは
紛れもなく、私の対応です。
 
 
私は子どもといつも
宿題バトルをしていました。
 
 
当時、私はいつも主人から
忠告を受けていたのですが
 
 
それも無視し、
宿題に関するクオリティも
彼のレベル以上のものを
要求していました。
 
 
書き順、勉強するときの姿勢、
字の丁寧さ、正確さ、
計算を途中の式を書かずに
頭の中でしてしまうなど・・・
 
 
今だったら
絶対にしないであろう、
NG対応のオンパレードでした。
 
 
私のガミガミ対応で、
次男はやる気を一切
失ってしまったんです。
 
 
宿題だけではありません。
生活全般においても
 
 
私は次男を問題児だと捉え
何としても躾なければ
躍起になっていたのです。
 
 
なぜなら、周囲と比較して
出来の悪い息子を育てている
自分の能力のなさに

 

子育てできない母親の

レッテルを貼られている
気がして、
不安でいっぱいだった
からです。
 
 
息子が心配という名の
自分の不安
なんとかしたかったのでした。
 
 

過干渉子育てからついに不登校へ

 
 
本人の行き渋りと
仕事に遅れるかもしれない
毎朝の葛藤の感情は
今思い出しても
胸がギューっとなります。
 
 
コロナ休校後、
一気にやる気を無くした
次男は、行き渋りが始まりました。
 
 
集団登校に遅れ、
一時間目に間に合うように
行き、
それが次第に
給食の時間になり、
 
 
バスケにいくためだけに
最終的には6限目から登校。
 
 
それすらも、しんどくなって、
いよいよ卒業間近になって、
学校休んでもバスケにはおいで。
そう言ってくださった、
監督さん。
 
 
当時の彼にとって
ミニバスが、彼の活躍の場。
色々と揉め事ばかり
だったけれど、

 

なんだかんだ言って、次男は

バスケットが好きだったんです。
 
 
そして、中学に入学。
部活を頑張りたいと
言っていました。
 
 
ところが、中1の5月の
中間テストの2日目から
パタっと行かなくなりました。
 
 
なぜなら、各教科の課題を
テスト後に提出しなければ
部活に参加できないことが
わかったからです。
 
 
課題を出すという
私たち大人にとって
当たり前のことが
彼にとっては
苦痛で仕方がなかったんです。
 
 
答えをうつしていいよ!と
いくらいっても
それすらも受け付けない。
そんなに単純では
ありませんでした。
 
 
好きなことや
興味のあることは
誰よりもとことんやる子
ですが、
 
 
そうでないものを
適当に済ませることが
一切できない子でした。
 
 
もともと、
バスケが大好きだったので、
夏休みだけは部活に
毎日参加していましたが、
 
 
夏休み最終日の部活顧問による
宿題点検の日から
引け目を感じ
自分には価値がない
言い出し、
もう行かなくなりました。
 
 
課題が出せないことも
理由の一つでしたが、
 
 
感覚が過敏なこともあり、
学校生活は、
多感な年頃でもあるため、
大人が思う以上に
疲れるようでした。
 
 
不登校期間は長く続き、
昼夜逆転、ゲーム三昧、
色々ありました。
 
 
その中でも私が困ったのは
イライラの矛先が
私に向かう、暴力でした。
 
 

 
 
私が勉強しているのを
邪魔してくることも
急に殴りにかかってきたり
机や椅子を蹴ったりしてくる
ことが
何度もありました。
 
 
不登校は誰よりも
本人がいちばん不安だし、
暇だし
面白くないのです。
 
 
これも私が、過去、
次男にしてきたことの
報いだと思い、辛かったけど、
耐えていました。
 
 
毎月ある、
発達科学講義の最中に
攻撃を受けることが
多かったので、
 
 
私、いったい
なんの勉強してるんだろ?
わかんなくなってきて、
 
 
今だから言えますが、
講義に出るのが、正直
トラウマになりそうでした。

 

また、

何かされるんじゃないかって。
 
 
逃げるように、
車の中で勉強していたことも
ありました。
 
 
本当に歯を食いしばって
涙を堪え、
私、よくがんばった。
あの頃の自分を
褒めてあげたいです。
 
 
だけど、
次男の方が本当は
もっと辛かった
と思います。
 
 
いつも、
自分は学校に行っていない
生きていてもつまらない
クズ人間だと
言っていました。
 
 
児童精神科の帰りにいつも
2人でご飯を食べにいくのですが、
 
 
人目を気にして、
昼間堂々と
外に出るのをためらい、
こそこそとしているのです。
 
 
あいつ、不登校なんじゃないか
って思われるのが、
辛かったようです。
 
 
自分で自分のことを
責めているのです。
 
 
いくらこちらが気にしなくても
いいんだよ!といっても、
受け入れません。
 
 
病院の先生、
放課後にたまにいく
学校の先生と、
今後の話をしていても
どこか他人事。
 
 
うちに帰ると
学校なんてない国に
生まれたかった・・・
 
 
この言葉を
何度も聞かされました。
 
 
そんな次男ですが
やがて、
高校には行ってみたい
と言うようになりました。
 
 
二つ上の
兄の高校生活が楽しそうで、
憧れもあったのでしょう。
 
 
そこで、私は、
通信制高校を
探すようになりました。
 
 
今思えば、
過干渉な関わりですね。
 
 
本人から頼まれていないけど
情報収集しました。
 
 
そして、
中二の冬くらいから
次男にとっての
居場所を探すために、
 
 
時々、通信制高校や、
フリースクールなどに
見学に行くようになりました。
 
 
しかし、本人は
あまり乗り気ではないので、
連れていくのに
私は必死にでした。
1人で行くことも多かったです。
 
 
行き渋る人を動かすことほど
難しいことはありません。
 
 
学校、病院、カウンセリング。
世の中には、
お家の外に連れ出すのも
困難な人がたくさんいます。
 
 
次男は
自分が行ける学校は
通信しかないと
わかっていながらも
本音では行きたくなかったんです。
 
 

してよかった過干渉

 

 

 
同じ過干渉
かもしれないけれど、
一つだけしてよかった
と思うことがありました。
 
 
それは、
脳を伸ばす関わり。
 
 
こればかりは
本人から
頼まれていませんが
親として、できる精一杯の
愛情表現で、
 
 
本当に
してよかった過干渉
だったと思います。
 
 
なぜなら、
二次障害の行く末を
研究すればするほど、
 
 
今できることは
子どもの脳を伸ばすこと!一択
だと感じたからです。
 
 
学校に行くことは
本人の意思と反するため、
行く行かないの話は
しないように
しましたが、
 
 
子どもの成長を止める
のは
親として、
諦めきれませんでした!
 
 
親として子どもの脳を
傷つけてしまった以上は
何としても修復しなければ
何としても伸ばしてあげたい!
 
 
だから、
発達科学コミュニケーションで
私が子どもの脳を伸ばすと決めたんです。
 
 
どうやって伸ばすか。
超シンプル、簡単です。
子どもの
今していることに注目する
それだけです。
 
 
ゲームをしているなら
ゲームで。
ご飯を食べてるなら
ご飯で。
YouTubeをみているなら
その内容で。
 
 
子どものしている行動を
否定しない
それだけなんです。
 
 
むしろ、
今していることに注目する。
そこにしか方法はないのです!
 
 
昼夜逆転の子に
どうやって
昼夜逆転をやめさせるか?
 
 
お風呂に入っていない子に
お風呂にどうやったら入るか?
 
 
勉強しない子に
どうやって勉強させるか?
 
 
そんなことを
言っているうちは
なんともなりません。
脳は伸びません。
 
 
むしろ、できていたことが
どんどんできなくなります。
 
 
それが二次障害
いうものです。
 
 
二次障害を悪化させたければ、
今できていないことを
どんどんやらせようと
してあげてください。
 
 
ですが、二次障害を
改善したいならば、
予防したいならば、
今できていないことは
一旦スルー!!!!!
 
 
すると
奇跡が起こります!
 
 

二次障害のある子は興味関心から脳を伸ばすのがいちばんの近道

 

 

 

 

私がしてきたこと。
それは次男の
興味関心に付き合ったこと。
それだけです。
 
 
次男は、
不登校になってから
しばらくして、
 
 
デュエルマスターズという
カードゲームをするように
なりました。
 
 
デュエマを始めた
きっかけは、
次男が小2の時に
 
 
私があまりにも
自分で面倒を見切れなくて、
(この頃イライラMAXでした)
夏休み限定で入れた、学童で
 
 
年上のお兄さんたちに
教えてもらったことが
きっかけでした。
 
 
この学童、
本当に素晴らしくって、
夏休みだけで、
ゴルフ、茶道、ピアノ、
鰹節づくり・・・
などいろんな
体験をさせてもらいました。
 
 
体験をたくさんできる、
塾のようなところだったため、
中3の今は、
全く喋れない英語も
小2の頃は話していました 笑
 
 
家ではできない体験を
たくさん味わえて
お家にいるよりも遥かに
脳が伸びていたと思います。
 
 
ただ、ここの学童に
連れて行くのも大変渋って、
引きずって連れていきました

もう、すでに
二次障害、赤信号でした(-_-;)
 
 
3年生から
バスケをしていたので
そんなにデュエマをすることは
しばらくなかったのですが、
 
 
不登校になった次男は
あまりにも暇だったので、
1人で遊んでいたところ、
 
 
兄の言った、
デュエマの大会に出てみたら?
 
 
そんな言葉がきっかけでした。
 
 
中1だった次男は
大好きなバスケもできなくなり
本当に死にたい、死にたいと
毎日のように
言っていたんです。
 
 
だけど、
ある日、大会に出場したら
面白かったんでしょう。
 
 
そこから
一気にのめり込みました。
 
 
久しぶりに
笑った顔を見ました。
 
 
私はこれで
この子の脳を伸ばそうと
決めました!
 
 
勉強でなくてもいい、
お手伝いでなくてもいい、
 
 
いちばん脳が伸びるのは
楽しいと思うこと。
 
 
今、この子にとって
面白いと思えるのは
これしかない
そう思ったんです。
 
 
楽しいことを通して伸びる力は
本当にたくさんあります。
 
 
ちょっと長くなるので、

また続きは明日。

 

過干渉を卒業すると

親子関係は
グッと楽になります!

 

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