母と私と息子 三世代の心がほどけた日〜「子どもの問題」から始まった、Mさんの気づきの物語〜

子どもの暴力、二次障害に悩み発コミュを学び始めた方の多くがやがて子どもの問題だけではなく、自分の問題だったと気づくようになります。過干渉は代々連鎖しますが、誰のせいでもありません。気づいた人から手放して幸せの連鎖の始まりの人となりませんか?
 
 

母の言葉に、涙があふれた日

 
 
先週の日曜日のことです。母が突然、私の大学受験の頃の話を切り出しました。
 
「あなたの気持ちなんて聞かずに、とにかくいい大学に入らせなきゃって思い込んでたの。本当に、無理をさせてたね。ごめんね。」
 
思いがけない言葉に、驚きました。
 
 

自分でも気づいていなかった『ひっかかり』

 
 
私なりに母を許してきたつもりだったし、「もう気にしてないよ」って笑って返したけれど、気がつくと涙があふれていました。
 
 
その涙を見た母が、こんなふうに言ってくれました。
 
 
「涙が出るってことは、まだ心が完全に癒えてないのかもしれないね。」
 
 
それが、心にすっと入ってきて。 それまで口にしてこなかったことも、少しずつ話すことができました。
 
 
母も黙って聞いてくれました。
 
 
あの時代、昭和のしつけの子育て真っただ中で、母なりに必死だったことも伝わってきました。
 
 
「ああ、誰のせいでもなかったんだな」そう思えた瞬間、心がふっと軽くなったんです。
 
 
そしてその日を境に、私の目線が少し変わった気がします。
 
 

息子の姿が、少し違って見えた

 
 
ちょうどその週末、息子がテレビとゲーム三昧で家から一歩も出ず。
 
 
「受験なのに、こんなことで大丈夫?」 そんな不安がよぎっていたのですが、気づいたら夕飯を食べ終わったあと、何も言わずに自分でテレビを消して、机に向かっていました。
 
 
土日は確かにダラダラしているかもしれない。 けれども、三年生になって一度も学校を休まず通い続け朝もきちんと支度して出かけている
 
 
先生のことも、前みたいに文句を言わなくなった
 
 
できていないことばかりに目を向けて、 本当はたくさん「できていること」に気づけていなかったのは私の方だったのかもしれません。
 
 
考えてみれば、これまで息子はずっと頑張ってきた。 土日は野球、平日は学校、ほとんど休まずに走り続けていたんです。
 
 
それを思えば、ちょっとくらい週末ダラダラしてても、そりゃ疲れて当たり前ですよね。
 
 
中学生の土日、ゴロゴロして過ごしたっていいじゃないか。 人生は長いのだから。
 
 

子どもの問題に見えていたけれど…

 
こんなふうに気持ちを切り替えられたのも、 発達科学コミュニケーション(発コミュ)で学んできたおかげだと思います。
 
 
子どもの行動に一喜一憂するだけではなく、 「なぜ、私は今これに反応しているのか」 そんなふうに、自分を見つめる視点が身についたからこそ、母との関係にも向き合えたのだと思います。
 
 

「幸せの連鎖」は、ここから始まる

 
この気づきは、私だけのものではありません。
 
 
講座で出会ったお母さんたちの中にも、
「親からの抑圧がつらかった」
「わたしは母のようにはなりたくない」
そんな想いを抱えていた方がたくさんいます。
 
 
そして多くの場合、気づけば「ベンジのような子育て」になってしまっていることも。
 
 
けれども、学びの中で本当の問題に気づきはじめます。
 
 
それは「子ども」ではなく「自分自身」だったのだと。
 
 
そして、親もまた一人の不完全な人間だったこと。 その時代、その環境の中で、最善を尽くしていたのだということ。
 
 
そう思えるようになったとき、心にゆとりが生まれ親に対する怒りや悲しみが、感謝に変わっていく
そんな小さなドラマが、いくつもの親子に起きています。
 
 
「自分だけじゃなかったんだ」
「親を許してもいいのかもしれない」
「わたしも子どもと、ちゃんと向き合いたい」
 
 
そう思えたら、きっとあなたの心も、少しずつ軽くなっていくはずです。
生きやすくなる未来は、諦めなくていい。
今からでも遅くはありません。
 
 
 

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