娘の吃音を治りにくくしていたのはまさに私が原因だった!

吃音

 

今日は私の黒歴史
ご紹介します。

3歳で吃音を発症し、
5歳1ヶ月でよくなった娘ですが、

吃音を発症して1年が経過し、
2年目に入ってから
急激に悪化する暗黒の時代
ありました。

4歳の頃の娘の子育ては
まさに地獄・・・。

思い出したくない、
というのが正直なところです。

娘は言葉も生活スキルも
どれも発達がゆっくりで、

そこに吃音の急激な悪化
が加わり、
私が空回りした時期
だからです。

娘は保育園ではいい子、
で通っていたのですが、
家では困った子でした。

食事に集中できず、
食べ歩き、遊び食べ
1時間以上かかる。

遊びに夢中になっている
わけではないけれど、

お着替え、歯磨き、お風呂
などの生活ルーティーンに
誘おうとすると、
のらりくらりと拒否して
やってくれない。

いざ、始まったかと思うと
びっくりするぐらいの遅さ
なかなか進まない。

お片付けなんてもってのほか!
出す専門で「お片付けしよう!」
という言葉はただ宙を舞うゴミ
のように扱われていました。

保育園の先生達に相談すると、

「え〜⁉︎ちゃんとお話聞くし、
保育園ではできてますよ」

と言われてしまう。

その時の先生の表情や態度が、

「お母さんの対応が
よくないからじゃないですか?」

と言っているように
聞こえてしまい、
だんだん人に相談できなく
なっていきました。

その結果どうなったか、
というとガミガミばばぁ
なったのです。

保育園にお迎えにいって
自転車に載せたら、

「帰ったら何する?
まず手を洗ってうがい!
その次に保育園の荷物を
片付けて、
明日の準備!
それから…」

と段取りを話すところから
始まり、

「次はこれ!」
「余計なことしない!
 次はこれだよ!」

指示だしばばぁになって
まともな会話もない状態でした。

そんな時に2人目を妊娠し、
寝返り一つでも吐いてしまう
重度の悪阻で仕事にも行けず、
家で動かず寝ている人に
なってしまいました。

実は長女の後に
2回の流産を経験していたので
娘には妊娠を伝えることができず、

ただただ
「お母さんは具体が悪い」
とだけ伝えていたので、
長女の不安がマックス
になりました。

そこから吃音が急激に悪化!
「かわいいね」
の一言を言うのにも
難発(ブロック)のせいで
10秒ぐらいかかるようになりました。

どもる時に体の一部を
動かしてしまう随伴症状
強くなり、

腕を振り、顔をひきつらせ
苦しそうに話していました。

何もすることができない状態で
娘の姿を見ていると、
彼女なりに毎日頑張っているのに、
私はなにやってきたんだろう?

求めることばかり
してきてた、

ということに気がつくことが
できました。

そこで、悪阻が明けたら
絶対に今までの悪行を改めて
娘の吃音をよくする!
と決意したのです。

その時の私の目標は
親子2人っきりでいられる
妊娠中に吃音をよくすること!
でした。

次の子が生まれたら
どうしてもその子に
手がかかってしまうので、
妊娠中が勝負だと思いました!

この期間を決めた、
というのが
良い結果につながる
ポイントだったな、
と振り返って思います。

続きはまた明日、
お伝えします。

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