私の本当の問題、劣等コンプレックス

 
 
私が発コミュトレーナーになって
成し遂げたいこと。
 
 
暴力や癇癪で暴れる
我が子に怯えるお母さん
笑顔にしたい
 
 
不平不満で膨れっ面の子ども
笑顔にしたい
 
 
そして
親子の生きづらさの連鎖を
ストップしたいのです。
 
 
 
私は発コミュを学び、
子どもへの対応の仕方がこれまで
自分がしていたことと
真逆だったことを知りました。
必死になって取り組みました。
 
 
 
だけど、
それだけでは、
うまくいかないことに気づき、
 
 
 
自分の抱えていた本当の問題
目を逸らさずに
見つめたことで
 
 
 
ようやく
自分自身の人生を生きる覚悟
できました。
 
 
すると、いつの間にか
子どもの問題が
問題ではなくなりました。
 
 
 
私の本当の問題とは
なんだったのでしょうか?

私の本当の問題、劣等コンプレックス

 
 
私は劣等コンプレックス
をずっと抱えて生きてきました。
 
 
 
実は、私は自分の
生みの母親を知りません。
 
 
 
私が生まれた直後、
実の母親も、本当の母親に
育てられたわけでは
なかったことを知り、
 
 
 
ショックで
今でいう、ネグレクト
育児放棄のような状態
になったそうです。
 
 
 
父親は仕事の合間に
数時間おきに
私のオムツを変え、ミルクを与え、
熱が出た時は一晩中抱っこをし、
育ててくれました。
 

父に抱っこされ寝ながらミルク飲む赤ちゃん4426599_s.jpg

 
 
そして、
離婚を決意したそうです。
 
 
 
 
そうして3年後
父親は
再婚をしました。
 
 
 
 
この事実を
はっきりと
確認をしたのは
 
 
 
反抗期の真っ只中
私が小学校6年生の夏のこと。
育ての母親との口喧嘩の最中でした。
 
 
 
「どうせ、私は
この家の子でないんでしょ?」
 
 
 
どういう経緯で
そのような言葉が出たのか
はっきりとは覚えていませんが、
自分が言ったこの言葉だけは
今でも忘れることができません。
 
 
 
その瞬間、育ての母親は
ついにその時が来たか。
と思ったそうです。
 
 
 
ここで、私は育ての母から
はじめて、
私の生い立ちの話
聞かせてもらいました。
 
 
 
だけど、
私は幼少の3歳から
この事実を薄々気づいており、
 
 
小6の夏まで
ずっと誰にも言えずに、
言ってはいけないこと
のように思い、
ひた隠して
過ごしていたのです。
 
 
 
どうして知っていたかというと、
3歳の時の七五三の時の
記憶をはっきりと
覚えていたからでした。
 
 
 
私の一番古い記憶です。
 
 
 
新しいお母さんがやってきて
綺麗な着物を着せてもらって
一緒にお参りをして、
嬉しかった記憶
微かにあります。
 
 
 
あとは新しいお母さん
お父さん(実の父親)の結婚式。
これも私が3歳の時の出来事です。
 
 
 
その事実について
触れる人は
家族も親戚も誰一人おらず、
何事もなかったかのように
みんな普通に接してくれました。
 
 
 
6歳下の妹もこの事実を知ったのは
私が結婚するときでした。
その話題はそのとき以来ありません。
 
 
 
そのくらい、血の繋がりって何?
我が家ではそんなものは関係ない
ものとして扱われていましたが
 
 
 
私一人だけずっと
コンプレックスだったのです。
 
 
 
私は周囲の大人に随分と
可愛がってもらいました。
 
 
 
いっぱい抱きしめてくれたおじさん。
いっぱい可愛がってくれたおばさん。
いっぱい美味しいものを
食べさせてくれたおばあちゃん。
いっぱい昔話を聞かせてくれた
おじいちゃん。
 
 
 
だけど、
いちばん甘えたかった
両親の温もりというのは
私はあまり感じ取ることは
ありませんでした。
 
 
 
子どもながらに、
薄々知っていた
本当のお母さんじゃない
 
 
 
なんてことは誰にも
口が裂けても言えなくて、
言ってはいけない気がして
甘えることを遠慮していたのです。
 
 
涙を流す子供22075471_s.jpg
 
 
時々ふっと感じる辛いとき、
苦しいとき、
誰かに甘えたいとき、
 
 
 
どうして私には本当のお母さんが
いないのだろう?
どこで何をしているのかな?
私のこと、忘れたのかな?
 
 
 
とこっそり、一人で
涙を流したことは
数えきれませんでした。
 
 
 
目の前にいるお母さんには
素直に甘えられなくて
困った時に
助けて!が素直に言えない。
 
 
 
いつも強がってばかりの
可愛げのない子どもでした。
 
 
 
無邪気に母親に甘える妹を見て
私はいつも妹に
やきもちを焼いていました
 
 
 
どことなく居心地の悪い、
疲れるおうち。
なんだか、つまらない。
私はおうちが大嫌いでした。
 
 
 
さらにおうちが嫌いになった
理由がありました。
 
 

愚痴の聞き役になって疲れた私

 

愚痴ばっかり言う人22953537_s.jpg
 
私は、育ての母親から
自分の生い立ちを
聞いた頃を境に
育ての母親との関係性が
少し変わりました。
 
 
 
いつの間にか
私は父親の悪口を
聞かされる役になっていました。
ご飯の用意をしながら
横でずーっと
聞かされていたのでした。
 
 
 
我が家は自営業で
喫茶店を営んでいたため、
父親も母親も
ほぼ一緒の生活。
 
 
 
朝から晩まで働く両親は
70代後半になった
今でも店を営業していますが、
 
 
 
ずっと一緒にいるので
愚痴もあって当然だとは思います。
休みなく働き続け
何一つ楽しいことがなさそうな母親。
 
 
ですが、
子どもだった当時の私にとって
 
 
 
父親の愚痴を聞かされても
どっちの味方をして良いのかも
わからず、
 
 
 
でも、聴いてあげないと
かわいそうだな。
 
 
 
母の愚痴を聞くことを
断りきれなかった私。
だけど
いつこの話から抜け出そうか、
そんなことばかりを考えていた娘時代。
 
 
 
ただただ
聞き役に徹していた私は
おうちは疲れる場所でした。
 
 
 
本来、お家は外で疲れた心を
癒す、パワーチャージハウス
あるべきところですが、
 
 
 
私はこのお家では
心から癒されることは
ありませんでした。
 
 
 
高校卒業と同時に私は
家から離れた場所へ進学をし、
自立をしたいと思いました。
 
 
 
 
決して育ての母親も
私を苦しめようと思って
愚痴を吐いていたわけでは
ありません。
 
 
 
ですが、今大人になってわかるのが、
母にとって、吐き出す場所が
娘しかいなかったという現実。
 
 
 
愚痴の聞き役はアダルトチルドレン
を生み出すのです。
 
 
 
親の顔色を伺って
いい子のふりをし続けた
代償は生きづらさを抱えることに
なるのです。
 
 
 

あなたはいい子症候群ではありませんか?

 
 
あなたは、子ども時代に
周囲の大人がどんな自分を
求めているのか考えて、
 
 
 
親の言いなりになったり、
顔色を伺って行動し、「いい子」を
演じていませんでしたか?
 
 
 
いい子症候群の人は、
「〜べき」「〜ねばならない」
という世間や常識などを基準にし、
規範的な価値観
強く持つ傾向があります。
 
 
 
原因としては
親から、価値観を押し付けられたり、
親から、期待をされすぎたり、
子どもに意見を言わせないなどが
あります。
 
 
 
一般的に「いい子症候群」だと
反抗期がないと言われています。
 
 
 
一見よさそうに思われますが、
その分、大人になってから
ストレスが爆発し、問題を起こしたり、
その影響は大きいです。
 
 
 
「いい子症候群」の人は
自己肯定感が低い傾向があります。
 
 
生きづらさにつながり、
それが次の世代に
無意識に連鎖されていくのです。
 
 
 
このことに気づくことが
子どもの問題行動に振り回されている
大人たちに必要なことかもしれません。
 
 
 
いつも感じることですが、
個別相談へくる方々、
受講生さん、ほとんどの方が
真面目な方、子ども思いの方ばかりです。
 
 
 
あなたは、
いい子症候群
ではありませんか?
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