1.知識があっても、わが子の不登校には苦戦…
子どもが学校へ行けなくなる時、精神的な不調を伴うこともあります。
そんな時、親であれば誰でも戸惑うことでしょう。それは心の問題を扱う専門家であっても同じこと。
今回、お話を伺った臨床心理士のアキさんは、現在小学校5年生のご自身の息子さんが3・4年生だった時、不登校を経験されました。
お仕事は教育委員会で就学相談や通級指導学級の判定を担当、昨年度からは小学校でスクールカウンセラーもされています。
アキさんに息子さんが学校へ行けなくなった時のお話を伺いました。
―――息子さんが、学校へ行けなくなったのはいつぐらいでしたか?
「学校へ行けなくなったのは、3年生1月からです。
そこから、4年生10月に登校を再開するまで学校に行けない状態でした。クラスでみんなと授業を受けられるようになったのは5年生になってからです。」
―――学校へ行けなくなる前に、どんな変化がありましたか?
「息子が小学校1年生のときに主人と別居をして家庭環境の変化がありました。そのことで気持ちが不安定になっていた面もあったと思います。
テストができないとビリビリにしてしまったり、感情のコントロールが難しいところがあって、3年生から学校の中の通級指導学級に通っていました。
3年生で学校に行けなくなる前に兆候はあって、秋ぐらいから、チックが出始めて10月に強迫行為*がはじまったんです。
汚れに対して恐怖心を持つようになって、汚れたものに触れたり、家の中に汚れが入るのを異様に嫌がるようになりました。
その頃から登校しぶりが始まって、朝着替えても玄関のところでうずくまってしまったり…。
クラスに息子が苦手だと思っていた子がいて、その子とのトラブルをきっかけに学校を休むようになりました。」
*強迫行為とは自分の意思に反して浮かんでくる強迫観念を消すための行為で、それをやめると不安や不快感が伴うためになかなか止めることができない。
たとえば、汚れが落ちていない感覚を消すために過剰に手を洗ってしまうなど。
―――大変な経験でしたね。強迫行為は、本人もやめられなくてつらいですよね…。周りの家族も大変だといいますが、どのように息子さんの症状や登校しぶりと付き合いましたか?
「息子が汚れを綺麗にしたいという衝動から、家の床を水びたしにしてしまっていたこともありました。エスカレートしていって、今度はアルコールでふくようになったり…。
自分自身、病気に対する知識はあっても目の前でそれをやられると『やらないで!』と思ってしまうこともやっぱりあって…。
登校しぶりが始まったときは、自分の仕事もあったので、学校になんとか行ってもらわないと困るという気持ちでした。学校へ行きたがらない息子と引っ張り合いになったこともありましたね。
強迫行為や登校しぶりが始まった時は、私の中でまだ息子と向き合う心構えができていなかったので、つらい時期でした。」
―――どこかに相談されましたか?子どもにメンタルの不調があわられた時、どのように対応することが大切だと思いますか?
「まず、適切なところに相談に行くことが大切だと思います。
うちの場合は、3年生10月から症状が出始めて、そこから病院を探しました。予約がとれて児童精神科に2月から通い出して、4月に投薬による治療を始めました。
薬を飲ませるときは、はじめ苦くて嫌がった時もありましたが『これを飲むと嫌なことも、まぁいいかと思えるようになるよ』と言って息子になぜ薬を飲むのかをきちんと説明するようにしました。
息子自身も薬で良くなっている実感があったので、抵抗することなく飲んでいました。
今は薬を飲まなくても症状がでなくなって、ほぼ完治しています。」
―――学校へ行けなくなってから、家ではどのように過ごしていましたか?
「家では勉強をさせようとしないで、自由に過ごさせてあげるようにしました。
やっぱり勉強させるとなると、うまくいかないことがあった時に感情的になってしまったり、本人が自信を失う機会が増えてしまうので。
漫画を描いたり、ゲームをして過ごしていました。1日のスケジュールやゲームの制限時間もとくに作らなかったのですが、生活のリズムだけは崩さないように気をつけていましたね。
ストレスがなくなったことが良かったのか、強迫行為もおさまっていきました。」
♦ポイント解説
一時期は、症状をコントロールすることが難しい状態になり、学校へ行けなくなっていたアキさんの息子さん。
プレッシャーをかけずにのんびり家で過ごさせてあげたことで徐々に良くなっていったようです。
お母さんが早めに気づき治療をスタートしたこともプラスに働いたと思います。
子どもに不調が見られたら「そのうち、なんとかなるだろう…」と思わずに早めに適切な場所に相談に行くことが大切だとお話を伺っていて感じました。
次は、どのように学校と連携をしていたのかについてお聞きしていきます。
2.登校を再開した時こそ、学校との連携が大切
―――学校に行けなくなっていた期間、どのように学校と連携していたか教えていただけますか?
「4年生になってからも学校に行けない状態が続いたのですが、4年生の9月に補助員の先生が中心になって、家庭訪問を2回ぐらいして頂けました。
息子はその補助員の先生のことを信頼していたので、そのことをきっかけに『学校に行きたい』と言うようになりました。
10月に学校に行けたものの、息子が登校した時どのように過ごすか学校と相談して決めることができないまま登校してしまったので、気持ちのコントロールを学校でできなくなって、物を振り回してしまったりすることがありました。
登校し始めたその時は本当に大変でしたね…。息子が不安定になって、学校から『迎えに来てください』と度々連絡が入って、私も仕事を休んで迎えに行ったり。
せっかく学校へ行けたのに、学校から『もっと落ち着いてから来てください』と言われたこともありました。
『本人が行きたい気持ちになったのに、来ないでってどういうこと?』と学校に対して納得がいかない気持ちを持ってしまったり、学校の対応で傷ついてしまうことも正直ありました。」
―――学校へまた登校できても、その子をどう受け入れるか学校側で体制が整っていないと、再び子どもが落ち着かない状態になってしまうことがあるんですね。
「そこで、学校でどのように息子を受け入れるかの話し合いがありました。
週2回通うことが決まって、通級ともう1つスクールカウンセラーの先生がいる部屋など安心していられる部屋を用意してもらって、学校へ通い始めました。
4年生の間は、通級か用意してもらった部屋で過ごしていたので、クラスで授業を受けることはありませんでした。
給食を仲が良い子と食べたり段階的に過ごせる場所が増えていった感じです。その時は、勉強は学校からもらってくるプリントで補ったり、通信教材を活用しました。
5年生の今は毎日学校へ行ってみんなと一緒に教室で授業を受けられています。休むのは、熱が出た時ぐらいで。」
―――5年生になって毎日クラスで授業を受けられるようになったんですね。すごく良い変化をされましたね!
「5年生のはじめに、コロナの影響で分散登校になったことが良いリハビリになったんだと思います。
学校へ行ってお友達と遊べて楽しい、と本人が実感したのも大きかったと思います。
今では、やりたかったバスケを始めたり、元気に過ごしています。」
♦ポイント解説
登校を再開できたタイミングも、子どもをまだ周囲が支えてあげる必要がある時期です。
本格的に学校に再び通えるようになるまで、学校と連携しながら環境を整えてあげることが大切なのですね。
この不安定な時期、アキさんは息子さんをどのように支えたのでしょうか?
3.子どもの心のコップを満たす“がんばりノート”
♦良いところ・がんばったことを気持ちを込めて伝えてあげる
アキさんは、息子さんが4年生で再び学校へ行き始めて、大変だった時期に書いていた「がんばりノート」を見せてくれました。
「がんばりノート」については、こちらの記事も、ぜひ併せてお読みください。
今年こそ3日坊主から卒業!“褒め”を記録することが自信になる!奇跡の「がんばりノート」
―――この「がんばりノート」はアキさんのアイディアで始めたんですか?
「そうです。森田直樹先生の『不登校は1日3分の働きかけで99%解決する』という本を読んで、参考にしました。
本では子どもの心のコップに自信の水が満杯になれば登校を再開できるという考えが書かれているのですが、子どもの良いところを毎日3つ以上見つけ、気持ちを込めて伝えるコンプリメントというものをして、子どもの自信を回復させていくというもので。
その考えを参考にして、自分が息子を見ていて気づいたことや本人が言ったことで、その日がんばったことをノートに書いてあげました。
そして、母親の私の気持ちもそこに足して書くようにしたんです。たとえば、お母さんは〇〇君が××してくれて助かったよ、とか、うれしかったよ、という気持ちを書き足していきました。」
―――付箋がたくさん貼られていますが、これは先生方から息子さんへのメッセージですね?お母さんだけでなく、息子さんに関わってくださる先生にも書いてもらったんですね。
「ノートを毎日学校に持たせていたのですが、先生方にも『付箋で良いので』と言って、息子へがんばったことなどポジティブなことを書いていただくようにお願いしました。
見てくれている人・応援してくれる人がいっぱいいるんだということを息子にわかってもらうために、先生方にも協力していただきました。」
―――このがんばりノートの1ページ目のイラスト、これは映画「インサイドヘッド」ですよね?どういう想いを込めて貼られたんですか?
「私が、仕事でお母さんたちに感情の話を説明することがあるのですが、その時、映画『インサイドヘッド』の話をしながら説明することがあります。
映画の中では、ヨロコビ イカリ カナシミ ビビリ ムカムカという感情のキャラクターが出てきます。
このどれも大切な感情で、フタをして抑えてしまっても消えることはなく、嫌なことや辛い体験は記憶の底で眠っていてなんらかの形でまた現れてきてしまうことがあります。不安な気持ちや嫌な気持ちは、寄り添ってあげて安心でくるんであげることが大切なんですよね。
子どもが感情を訴えてきた時に『そんなの大したことじゃないでしょ』と否定してしまうと子どもの中にネガティブな感情が残ってしまいます。
私は、息子にもその話をして『自分の中のどんな気持ちも大切だから、あっていいものなんだよ』と言ってきました。
自分の中のどんな感情でも大切で、どんな感情を出しても大丈夫、寄り添ってもらえる、と息子が気づいてから、感情のコントロールができるようになってきた気がします。」
♦再登校を後押ししたものは何だったのか?
アキさんの息子さんは、信頼できる先生が家庭訪問をし、気にかけてくれたことで、再び「学校へ行きたい」という気持ちになりました。
きっかけを作ったのは、信頼できる人からの働きかけでした。本人が過ごしやすいように学校と連携して環境を整えてあげたことも大きかったと思います。
しかしそこで登校を再開しても、子どもはまだ支えが必要な不安定な状態にあります。
息子さんが元気になって教室で過ごせるようになったことを後押ししたのは“お母さんの肯定的な関わり”だったということが、がんばりノートから伝わってきました。
息子さんの心が自信でいっぱいになるまで、アキさんは気持ちに寄り添い続けたのだと思います。
精神的な不調や不登校は、子どもが気持ちを抑えて我慢を重ねた結果、現れてくることもあります。
そこで、無理に学校に行かせたり、そんなの大したことないと我慢させることは問題を先送りにしているだけです。
その時こそ、気持ちにしっかり寄り添い子どもの自信を回復させてあげる、そんな関わりをしていけば、一時休むことがあっても、きっとまた子どもは力強く自分の足で歩いていけるのだと希望が持てるようなお話でした。
毎日忙しくお仕事をしながら、息子さんの精神的な不調、不登校に寄り添っていくのはどれほど大変だったことでしょう。
そんな中で母親である自分自身の心をどのように整えていったのかについて、アキさんにお話を伺いました。
インタビュー後編「子どもを回復させるには“母の心”をまず整える!専門家でもサポートが必要だった~わが子の不登校を経験した心理士さんインタビュー~」も、ぜひお読みください‼
執筆者:滝麻里
(発達科学コミュニケーションリサーチャー)
登校しぶり・不登校に関する役立つ情報も発信しています!