1.長男に続いて、次男も学校に行けなくなって…
小学校4年生、3年生、年少の3人の男の子のお子さんを育てながら、地域で不登校の子どもがいるお母さんとつながる活動をされている、みしまひかりさん。発達科学ラボでは、発達の知識を学んだり情報を発信するリサーチャーをされています。
みしまさんは、明るく活動的なお母さんという印象ですが、実は悩まれていた時期もありました。その時のお話を聞いていきます。
――子育てで、一番悩まれていた時期のことを教えてください。
「長男は敏感なHSCタイプで、人からどう見られているのかを気にする子です。
長男が小学校2年生の時に先生が変わって吃音が出てきて、それを友達にからかわれたり、授業中何も言葉が出せなくなって、学校に行けなくなりました。
長男が行けなくなったら、不安が連鎖してしまったみたいで、次男が爪噛みをしだしたんです。学童でも同じ漫画をずっと見続けていたり様子が変わってきて、スクールバスにも乗れなくなりました。
長男が学校に行けなくなって、半年後に次男も学校に行けなくなりました。」
――お兄ちゃんに続いて、弟さんも…という状況だったのですね。
「長男は真面目で学校には行くべきものと思っていて、行けない自分を責めていました。本人は『行かなきゃ』と思っていて…。それを見るのもつらかったですね。
HSCの専門医を受診しましたが、『気質なので、環境を整えてうまく付き合っていきましょう』という感じで、とくに解決策はもらえませんでした。
私は人口1万5千人の町に住んでいて、周りに不登校の子もいなくてそういった情報も広まっていないので、私もどう対応すれば良いのかがわかりませんでした。」
――学校とはどのように連携されてきましたか?
「はじめから学校は様々な配慮をしてくださっていて、学校とのやりとりで嫌な思いをしたことはありませんでした。
長男が学校に行けなくなってから、学校側もなんとか繋がりを途絶えさせないように、駐車場に来たら出席のハンコを押す、まずはそれを目標にするなど対応を考えてくださっていました。
それでも、腹痛や吐き気など身体症状も出ていたので、とても行ける状況にはありませんでした。
でも、コロナ休校明けに長男が友達とゲームの約束をするために『学校に行きたい』と言い出したんです。みんな学校に行けない状況だったのでリセットされた感じで、勇気が出たみたいで。
教室で授業を受けることはまだできていませんが、コロナ休校明けから今は別室に、長男も次男も毎朝登校して1時間そこで勉強しています。
教頭先生が家庭教師のように勉強を教えてくださっていて本当にありがたいです。」
―――
HSCの子どもは、その敏感さのために学校生活に馴染めないことがあります。その子のペースに合わせて過ごさせてあげることが大切ですが、親がはじめから子どもの気質を理解し、対応できるとは限りません。
今では、お子さん達を優しく見守るみしまさんも、はじめはどのように対応すれば良いのかわからず戸惑っていたことがお話から伝わってきました。
お子さんが学校に行けなくなってから、再び登校するまでの詳しいお話はこちらの記事で↓
「また学校に行きたい」と発達障害や HSC の不登校の子どもが言ってきた時の親の対応はこの3つ!
2.発コミュでHSCの息子が自分の気持ちを語りだした!
――発コミュを始められて変化はありましたか?
「発達科学コミュニケーション(発コミュ)を学び始めたのは、昨年のゴールデンウィーク明けぐらいです。
私が肯定的なコミュニケーションを始めて、3週間ぐらいしたら長男が自分の気持ちを語り出したんです。
『あの時は、こういう気持ちだったよ』『お母さんにこうして欲しかった』とか。2時間ぐらい自分の気持ちを話してくれたこともありました。」
――2時間も!?それだけ内面に自分の気持ちを抱えてしまっていたんですね。
「一時期、長男が次男を叩いたり、いじわるをしていたことがありました。
それを私が注意していたのですが、抱えていた不安な気持ちや葛藤など、言葉にできないストレスがいじわるという形で出てしまっていたということが、本人が語ってくれた言葉の中からわかるようになりました。
私もガミガミ怒る方ではなかったのですが、敏感な子なので、私の目つき、声色、表情など非言語の情報を感じとっていたみたいです。
自分の状態が子どもに影響するので、いかに自分のマインドを整えるかが大事だなと感じています。」
――どのように自分の気持ちを整えていますか?
「私の場合は、しゃべる事と食べる事が大好きで。主人の両親と同居していて協力してもらえているので、仕事にも行けています。私は外に出たいタイプなので、仕事があることで切り替えができている感じです。
あとは、同じ不登校の子どもを持つお母さんとつながったことで、気持ちが楽になりました。仲間がいると全然ちがうんだなと実感しています。」
3.同じ体験をしている人とつながることで見えてきた可能性
今は、地域の不登校「親の会」の活動に積極的に取り組んでいるみしまさん。活動をするようになった経緯についてお聞きしてみました。
――不登校の子どもを持つお母さんとはどのようにつながりましたか?
「長男が学校に行けなくなって2ヶ月ぐらい経った時にスクールカウンセラーの先生に『学校に行けない子どもがいるお母さんとつながりたい』ということを話したんです。
でも、その時は個人情報の関係で教えられないと言われたのと、不登校親の会が知られていなかったのもあって、何も情報がもらえませんでした。
そこから、ずいぶん経ってから不登校親の会があることを知って。
17町村にまたがる不登校親の会だったのですが、その団体が学校に案内文書を配って、その文書を昨年7月ぐらいに学校からもらって初めて知りました。
実は10年前ぐらいから会はあったようなのですが知られていなくて、文書を見た時は『あったんだー‼』という感じでした。
親の会に参加して、同じ町の不登校のお子さんがいるお母さんとも初めてお会いできました。
他のお母さん達も私と同じように、仲間とつながるのを待ち望んでいたという感じでしたね。
会では、それぞれ子どもの不登校の経過を報告し合いながら涙して…私も号泣しながら話しました。
そこから同じ町内のお母さん達と『1ヶ月に1回ぐらい会いたいよね!』と一致団結して、今は定期的に集まっています。」
――ご自分の住んでいる町の不登校親の会を新たに作ったのですね?
「元々あった不登校の親の会は、参加者が広い地域にまたがっていて年4回だけの活動だったのですが、同じ町のお母さんと『もっと会いたいよね』という感じで自然発生的にできた感じです。」
――どんな活動をされていますか?
「わが家にも来てもらうことが多いのですが、お母さん達はおしゃべりして、子ども達はゲームをしたり自由に過ごしています。
同じ経験をしたお母さん達と話すことで、ためていた自分の気持ちを吐き出して、心のデトックスをしたような感じがしました。抱えている葛藤が同じだったり、『わかる~。うちもそうだわ!』と共感し合えることも多くて。
はじめはお母さん達が自分の気持ちを語り合う感じでしたが、今では『こんな事をしたいね!』とやりたいことを計画するようになってきています。
子ども達はゲームを通して徐々に慣れて仲良くなってきたので、先日は初めて屋外で七輪パーティーをしました。スルメ、干し芋、マシュマロ、焼き鳥、カルビを持ち寄って、炭火で焼きながら食べたんですけど、とても美味しく楽しい時間を過ごせました!
活動をバックアップしてくれる人も増えてきて、通級の先生、教育委員会の人、保健師さんが来てくれて、情報をくれたり、メンバーも少し増えました。」
――これから活動を通して、どんなことを実現していきたいですか?
「不登校だと学校で出来る様々な経験自体が難しくなるんですけど、そこは不登校親の会でカバーしていきたいですね。
子ども達からたこ焼きパーティーやヨガ体験、遊園地に行きたいなどの希望が出ていて、1つずつ実現していきたいです。
あと不登校親の会メンバーと町議との話し合いを予定していて、適応指導教室や中学校の通級設置に向けて、行政に働きかけをしていきます。
人口 1 万 5 千人の町に不登校支援はなかなか無いのですが、“無いなら作ろう精神”で声を上げていく事が大事だと思っています。
学校が苦手な子ども達にとって安心できる人と場所が何より大事で、その選択肢を増やしていく事が不
登校親の会の使命と思って頑張っていきます。
やりたいことはいっぱい出てきて、仲間と繋がった事で、ワクワクする可能性が見えてきた感じです。」
――
子どものペースに合わせて無理させないことが大切とわかっていても、子どもが学校に行けなくなると勉強や社会性の発達の面が気になると思います。
親だけの力では、子どもの成長に必要な体験をさせてあげる事が難しいときがあります。
そんな時、同じ状況の人とつながって一緒に活動をしていくことで可能性が広がっていくということを、みしまさんのお話から学ばせて頂いたような気がします。
発コミュを学んだことが、学校に行けない子ども達と接する上でとても役立っているとお話してくださいました。
お母さんが自ら学んで知識を得たことも、子ども達のために自信を持って活動することを後押ししたのではないでしょうか。
一人のお母さんが仲間と始めた活動が足がかりとなって、子ども達の未来の可能性が大きく広がっていくかもしれません。
執筆者:滝麻里
(発達科学コミュニケーションリサーチャー)
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