「学校に行きたくない」と言われたら、まず気持ちを受け取る
「学校に行きたくない」
朝、子どもにそう言われたら、
休ませていいの?
理由を聞いた方がいい?
一度休ませたら、そのまま不登校?
親はいろいろなことが心配になりますよね。
「どうして?」
「何か嫌なことがあった?」
「今日だけ行ってみたら?」
「行けば案外大丈夫かもしれないよ」
と、なんとか学校へ行ける方法を
探したくなるかもしれません。
けれど、子ども自身にも、
なぜ行きたくないのか、
何がしんどいのか、
うまく言葉にできないことがあります。
友達関係かもしれない。
勉強かもしれない。
先生との関係かもしれない。
疲れが溜まっているのかもしれない。
いくつものことが重なって、
本人にも説明できない状態に
なっていることもあります。
だから、最初から
答えを出そうとしなくても大丈夫です。
「そっか。今日は行きたくないんだね」
まずは、それくらいでもいい。
学校へ行くかどうかを決める前に、
「今の気持ちをお母さんに言っても大丈夫だった」
という経験をつくることです。

児童精神科医の佐々木正美先生は、
人生のどこかで、親は子どもにたっぷり手をかける必要がある
とおっしゃっています。
ただ私は、
「たっぷり手をかける」
とは、何でも親がやってあげること
ではないと思っています。
学校へ行けるように先回りする。
勉強が遅れないように管理する。
生活リズムを崩さないように声をかけ続ける。
ということでもありません。
「この子は今、どうしたいんだろう?」
と、子どもの気持ちを知ろうとすること。
子どもが自分で考え、自分で選び、
自分で動き出せるまで、
安心できる関係をつくること。
今こそ、そんなふうに
手をかける時なのかもしれません。

学校を休んだ日は「何かさせる」より、要求を一旦下げる
学校を休ませると、
休むのはいいけれど、プリントくらいはしてね
ゲームだけじゃなく、お手伝いくらいして
と言いたくなることがあります。
何もしなくなってしまうのが怖いからです。
けれど、
学校に行けなくなっている子の中には、
誰にも何も言われなくても、
「みんなは学校へ行っているのに」
「自分だけ休んでいる」
「本当は行かなきゃいけないのに」
と感じている子がいます。
家でゴロゴロしているように見えても、
本人の頭の中まで休めているとは限りません。
すでに負荷がかかっているところに、
「プリントは?」
「勉強は?」
「お手伝いくらいしたら?」
と、さらに
「やらなければならないこと」を重ねてしまう。
すると、また頑張るための
エネルギーを貯めるどころか、
「やっぱり自分はできていない」
という経験を増やしてしまうことがあります。
だからこそ、私は一旦、要求を下げます。
今の最優先課題は、
学校へ行くことでも、
プリントをすることでも、
規則正しい生活に戻すことでもありません。
「自分の気持ちをわかってもらえた」
「家では安心していていい」
そんな経験を増やして、
もう一度、自分から
「ちょっとやってみようかな」
と思えるエネルギーを貯めることです。

不登校の時間を「やってみたい」が広がる時間に変える
ここで誤解してほしくないのは、
「学校を休んだら、何もさせなくていい」
ということではありません。
「やらせる」のではなく、
子どもの中から
「やってみたい」が生まれるきっかけを
つくります。
それが、肯定的な関わり、
コミュニケーションです。
例えば、
「家にいるんだから、ご飯くらい作ってよ」
と言われたら、
子どもにとっては
「お手伝い」という新しい課題が
一つ増えただけです。
けれど、
「〇〇ちゃんが作ったオムライス、また食べたいな」
だったらどうでしょう。
もちろん、
それでも作らない日はあります。
それでいいのです。
それでがっかりしていると、
否定的なコミュニケーションとして伝わります。
もし作ってくれたら、
「おいしい」
「ありがとう」
「作ってもらえて嬉しいな」
と、感じたことをそのまま伝えることができます。
ここで大切なのは、
オムライスを作らせることではありません。
自分がしたことで、
お母さんが喜んだ。
誰かの役に立てた。
自分の行動で、相手の感情が動いた。
そんな体験を増やすことです。
「やらなければならないから動いた」
ではなく、
「やってみたら、ちょっと嬉しかった」
という経験。
これが、
次に自分から動いてみようと思える
小さなエネルギーになります。
不登校の時間が長くありました。
家にいる時間が長かったので、私は時々、
「今日のお昼、何か作ってくれると嬉しい」
と頼むようになりました。
最初はチャーハンなどの簡単なものから。
そのうち、
唐揚げを作ったり、
余った野菜で天ぷらのかき揚げを
作ったりするようになりました。
今では、私より上手なくらいです。
けれど、私が面白いと思ったのは、
「料理ができるようになったこと」
だけではありませんでした。
料理をするようになってから、
外食へ行った時の息子の見方が変わったのです。
ただ出てきた料理を食べるだけではなく、
厨房の様子を見ている。
盛り付けを見ている。
「これ、どうやって作ってるんだろう」
と考えている。
スーパーへ行っても、
以前より食材をよく見るようになりました。
料理をするという一つの経験から、
食材、調理法、盛り付け、厨房、
今まで気にも留めていなかったものへ、
少しずつ興味が広がっていったのです。
不登校になると、親はどうしても、
「今日も学校へ行かなかった」
ということに目が向きます。
学校へ行けない時間が長くなるほど、
「勉強が遅れる」
「経験できないことが増える」
「このままで大丈夫なの?」
と不安になります。
けれど、
学校だけが、
子どもが学ぶ場所ではありません。
特に、興味の幅が狭くなっている子にとって、
学校へ行かない時間は、
今まで知らなかったことを知る。
やったことのないことをやってみる。
できなかったことが、少しできるようになる。
そんな経験を増やせる時間にもなります。
私は、不登校の時間を、
「学校に行けなかった時間」
だけで見なくてもいいと思っています。
「この時間に、この子の世界をどう広げられるだろう?」
そんな視点を持ってみてほしいのです。
子どもがまた動き出す土台は、何気ない親子のコミュニケーション
では、
子どもの「やってみたい」は、
どうしたら生まれるのでしょうか。
私は、そのきっかけづくりに欠かせないのが、
親子の何気ないコミュニケーション
だと思っています。
特別な会話をする必要はありません。
子どもがゲームをしていたら、
「それ、どうやるの?」
と聞いてみる。
好きなYouTubeを見ていたら、
「この人のどこが面白いの?」
と興味を持ってみる。
ごはんを作ってくれたら、
「ありがとう。おいしかった」
と伝える。
一緒に食べながら、どうでもいい話をする。
子どもの話に、
「でもさ」
「それは違うよ」
「普通はこうじゃない?」
とすぐ答えを返さず、
「そう思ったんだね」と聞いてみる。
そうした何気ないやりとりの積み重ねから、
「お母さんには話しても大丈夫」
「自分のことをわかろうとしてくれている」
という安心が生まれてきます。
そして、ここで大切なのが「待つ」ことです。
待つ=放っておく
ではありません。
急かさない。
先に答えを出さない。
子どもの好きなことに興味を持つ。
やってみたいことがあれば応援する。
必要な時には手を貸す。
子どもが自分で考え、選び、動く時間を
奪わないことです。
学校へ行かせることを急ぐより、
「この子は今、何に興味があるんだろう?」
と見てみてください。
言葉を変える前に、
まずは、
「お母さんには話しても大丈夫」
と思える関係に戻ること。
そこから少しずつ、
「やってみようかな」が生まれてきます。
それが、子どもが自分から動き出すための、
はじめの一歩です。



