非常識な子育てが心地良くなったらいつでも共感できるようになります!
今の私は、かつての私だと
非常識な子育て
だと思っていたことが
だと思っていたことが
もはや常識になっています。
すると
どうなったかというと、
当たり前のように
共感ができるようになったんです。
その結果、子どもを無条件で
ありのままを認めることが
自然にできています!
だから、子どもとの会話が
毎日楽しくて仕方がないのです^^
目の前にある常識、本当にそれで、いいのかな?
✔️ 脱いだ服はすぐ洗濯カゴへ、ハンガーへ。
✔️ 手洗いうがいはきちんとすること。
✔️ 宿題は、遊ぶ前にすること。
✔️ 遊びに行ったら門限までに帰ること。
✔️ 文字を書く時は丁寧に、
書き順は正しく。
✔️ 姿勢は正しく足を床につけるか正座。
✔️ 何かを食べながらなんてもってのほか。
✔️ 出されたご飯は残さず食べること。
✔️ もちろん好き嫌いはダメ。
✔️ ごはん、おかず、汁物、バランスよく順番に食べること。
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発コミュをまだ知らない当時の私が
子どもが学校から帰ってきてから
夕飯までに毎日しつこく
言っていたことです。
寝るまでとなるとさらに
まだまだありますので
この辺にしておきますが 苦笑
子どもにとってみれば
うるさいなぁ!
でしょうね。
でしょうね。
当たり前と言えば
当たり前なことばかりですが、
それでも
長男はわりと言いつけを
守ってよくやっていたと思います。
しかし!
その後どうなったかというと
思春期、反抗期に
別人のように荒れました。
手がつけられないくらい。
次男は幼児期の頃から、
私には操縦不可能でした。
この子の取扱説明書が欲しいと
毎日誰かにぼやいていました。
ちょっとしたことで癇癪。
ちょっとしたことで
すぐその場から
逃げ出していました。
逃げ出していました。
夜だろうが、雨だろうが、
関係ありません。
家族からは、
躾がなっていない!と
躾がなっていない!と
ののしられ、
『子育てできないママ』の
烙印を押されて、
地獄へ突き落とされた気分でした。
世間の評価でもなく、世の中の常識でもなく、子どもをよく見てみませんか?
当時の私はいったい、
何に怯えていたのか?
それは
世間の評価。
世の中の常識。
そこから
我が子がはみ出ること。
もっと本音をいうと、
私の子育てを常に監視している
お姑さんの顔色。
とにかく自分の軸はなく、
私は常に周囲に
振り回されていました。
その結果、
子どもがどう感じているか
なんて考える余裕も
ありませんでした。
ありませんでした。
友達トラブルが起きたら
子どもの言い分も
最後まで聞いてあげないで
事実に対して、
それはダメだよね?
〇〇くんの気持ち
考えたことある?
なんて言っても、
通用はしませんでした。
言えばいうほど、
癇癪はヒートアップしました。
今の私から、当時の私に
子どもの気持ち、考えたことある?
と言ってやりたいくらい。
あの頃の私は、とにかく
周囲の目に怯えていました。
その結果、次第に
我が子に怯える生活に
エスカレート
していきました。
していきました。
発コミュに出会った頃は
私は息子に暴力を受けている
被害者ヅラをしていましたが、
本当の被害者は子どもでした。
一番よく見て
あげなくてはいけない
我が子をすっ飛ばして、
他人の評価や世間の目、
そして
ニートになったらどうしよう。
犯罪者になったらどうしよう。
という自分の不安。
結局これも、
ちゃんと子育てできないという、
自分への評価に怯えていたのです。
子どもの心を壊してまですることなんて何一つない!
そんな私が
変わることのできた言葉、
それが、
私のメンターである、
吉野さんからのことば。
子どもの心を壊してまで
することなんて何一つない!
でした。
たとえば、冒頭であった、
当時の私の常識一つ一つに
疑問を感じるようになったんです。
もちろん、
ちゃんとできるに
越したことはないけれど、
成長するスピードも違えば、
理解度もひとりひとり違うこと。
だから
相手に届くコミュニケーションを
伝える側が考える必要があるし、
言いつけを守りなさい!
これができないと
ロクな大人にならないよ!
なんて
自分が言える立場じゃないことも
よくわかりました。
私は子どもが心を壊すほど
荒れてしまった結果、
本気で自分を
見つめ直すことにしました。
私ってそんなに偉いわけじゃない。
私も間違えることだってあるし、
完璧ではないのだから
その子、その子の
成長のスピード、持ち味を
もっと生かす子育てに
シフトチェンジ
してもいいのかなって
してもいいのかなって
思うようになったんです。
「ママ、無知の知って知ってる?」
最近、高1の次男との会話を
もっぱら楽しんでいる私ですが、
またドキッとする話がありました。
「ママ、無知の知って知ってる?」
というのです。
「それってどういう意味なの?」
と聞くと
次男は、こう答えてくれました。
「知らないことを知っている
という意味だよ。」
「深くね?ソクラテスっていう
哲学者の話」
「へぇ。そうなんだ。深いね。」
これって私たち、
子育てをする大人にも
言えることだなと思いました。
私たちの子ども時代と
令和の今を生きる子どもたちは
環境も違うし、
時代も違うのですから
今の時代にあった、
子育ての方法は
知らなくて当たり前。
知らなくて当たり前。
知らないならば、
令和式子育てに
令和式子育てに
アップデートしてみよう!
まさに、
知らないということを認めて
知ろうとすることが
とても大事だなと思いました。
私たちのこれまでの常識、
「学校は行かなければならない」
「行くのは当然だ」に対して
じゃあどうするかを
考えませんか?
考えませんか?
「ゲームの課金をすべきではない」
「キリがないからやめさせるべきだ」
に対して
じゃあどうするかを
考えませんか?
考えませんか?
「〜ねばならない」
「〜であるべき」
の考え方が、
時代が変わっても、そのまま
時代が変わっても、そのまま
通用するはずがありません。
今の時代は多様性の時代
とも言われています。
自分らしく生きる
ってなんだろう?
ってなんだろう?
そんなことを考えていると
もっと、一人一人の言葉に
真剣に耳を傾けても
いいんじゃないかな?
それが共感力なんだと
私は思います^^
私は思います^^
「無知の知」
子どもの言葉は、いつでも
私の子育ての教科書です!
私の子育ての教科書です!