受験生の子どもが心配でたまらない親
夏を制するものは受験を制す
という言葉があります。
こんな親の当たり前の常識のせいで
心を壊す子どもたちが
いなくなりますように!
というお話です。
高校3年生や中学3年生、
小学6年生の
受験生と呼ばれる年代の
お子さんの親御さんは
夏の時期にだらだらしている
子どもをみると心配で
居ても立っても居られないです。
我が子が一体
何を考えているかわからない!
あるいは、
我が子は口では偉そうに希望を
言っているけれども
行動が伴っていない!
そんなことに、とてつもなく
不安を感じています。
不安を感じています。
それはなぜかと言うと、
大人は子どもよりも
人生経験があるため
未来が予測できるからです。
このくらいの時期には
オープンスクールに行かなくては
このくらいの時期には
志望校を決めなくてはなどと、
このくらいの時期には
これくらいの勉強量が必要で・・・
親が子どもの代わりに
脳みそを使っているうちは
子どもは受験も
自分ごとになりません。
ですが、
そのことにも気づかないので、
動きが鈍い子どもに対して
このままどうなるんだろうと
親の心配だけが
どんどん膨らんでしまいます。
子どもはちゃんとわかっている、だけど自信がないだけ
一方、当の本人である子どもは
どうなのかというと、
親に言われなくても、
多くの子は
わかっています。
気にしています。
だけど、
自信がないのです。
自信がないのです。
わかっているからこそ、
周囲にを指摘されると、
親が焦っている様子に
苛立ちを覚えます。
このままではヤバイなんて
言われなくても
本人が一番知っているのに、
そのタイミングで、
指摘されることが一番辛い
のではないでしょうか。
だけど、親の方も
何か言わずにはいられない
ジレンマとの戦いです。
そんな時に、親に
「この先、いったい、
どうするの?」
どうするの?」
なんて言われても、
不安を煽られていると
感じる子どもは、
感じる子どもは、
答えようが無いのが現実です。
子どもの応援者であることを伝えるだけでいい
進路をどうするかなんて、
親の課題ではなく、
子どもの課題です。
ですから、
日頃からかける言葉は一択です。
「もし、進路のことで
悩んでいたら、一緒に考えるから
いつでも言ってね」
(手伝えることがあればいつでも言ってね)
それだけでいいのです。
何か言ってくるまでは
待てばいいのです。
その子には
その子のペースがあるのだから。
締切があれば、
それは伝えるけれども
それに応じるかどうかは
子どもの課題。
たとえ失敗に終わっても、
そこからきっと
どうすればいいか、
子どもも親も何か学ぶでしょう。
そこからきっと
どうすればいいか、
子どもも親も何か学ぶでしょう。
自分の人生なのに、
自分ごとにならないことで
心を閉ざす子どもが増えてしまうことが
一番悲しいことだと思います。
心配が手放せないなら、もっと視野を広げてみない?
人生は100年時代。
中学に行かなくても
高校に行かなくても
大学に行かなくても
本気で何かを
学びたいと思ったら
学びたいと思ったら
いつでも学ぶことはできます。
こんなにシンプルで
当たり前なことを
私は、この仕事につくまで
気づきませんでした。
18歳で人生が決まると
勝手に思い込み、信じ、
私たちは夫婦で、
子どもに懇々と言い聞かせて
幼児期から育てていました。
今思えば、
なんて狭い視野で
考えていたのだろう。
偏差値教育、学歴主義、
当たり前に私たちが
受けてきた学校教育の弊害です。
それしか知らないのだから
当たり前かもしれません。
競争することで
切磋琢磨して
頑張れる子もたくさんいます。
切磋琢磨して
頑張れる子もたくさんいます。
それがモチベーションとなる
子もたくさんいます。
だけど周りと比べることで
自分の価値を見失っては
なんだか勿体無いと思うのです。
もっともっと
広い世界を見渡してみて。
子どもの心を壊してまで
することは
何一つありません。
何一つありません。
私たちが子どもの頃に比べて、
令和の現代は、情報社会すぎて
お家に居ながらにして
案外子どもは
私たちが思っている以上に
案外子どもは
私たちが思っている以上に
外の世界に触れています。
だからこそ、
なんとかなるなる!
なんとかなるなる!
そんなふうに、
私たち親の方が、
不安を思い切って捨てる
覚悟を持ちませんか?
我が子への心配を
信頼に変えるために
できていないこと探しはやめて
できていること探しを
していきませんか。
子どもに無理だったら、
自分自身に、ぜひ、
してみてください。
してみてください。
そうすれば
必ず突破口は開けると
確信しています。