あるお母さんから
修学旅行前のご相談がありました。
お子さんは、
テスト1日目には行くことができました。
帰ってきた後も、
機嫌よく過ごしていたそうです。
けれど、2日目は行けませんでした。
お母さんは、怒鳴ったり、
無理やり行かせたりはしませんでした。
何度か声はかけたものの、
最終的には「行かない」と決めたことを
責めずに受け止めようとされていました。
けれど、その後のお子さんは少し
自暴自棄のような状態になっていました。
そして、
その数日後には修学旅行が控えていました。
本当は行きたい気持ちもありそう。
けれど、テストに行けなかったことも重なって、
「行かない」方向に傾いている。
さらに、荷物を学校に持っていく
期限やキャンセル料のこともある。
お母さんは、こう悩まれていました。
「どうにかして行かせてあげたいと思うのは、
私の気持ちなのかもしれません。
本人が行きたくないと言うなら、
後で後悔したとしても、
お休みでもいいよと
言ってあげた方がいいのでしょうか。」
このご相談は、修学旅行前のご家庭では
とても起こりやすい悩みです。
実際に私のもとにも、毎年この時期になると、
「修学旅行に行かせた方がいいのか、
休ませた方がいいのかわからない」
「本人は本当は行きたいのに、
直前になると行かない方向に倒れてしまう」
というご相談が届きます。
だからこれは、特別なご家庭だけに
起きることではありません。
不登校気味のお子さんや、
学校に行き渋りがあるお子さん、
テストや行事の前後で気持ちが崩れやすい
お子さんには、とても起こりやすいテーマです。
この時に大事なのは、
「行かせるか、休ませるか」
を急いで決めることではありません。
親が行かせたいのか。
本人が本当は行きたいのか。
ここを分けて見ることです。
修学旅行に「行かない」と言われた時、親がまず見ること
修学旅行前に「行かない」と言われると、
親は焦ります。
荷物を学校に持っていく期限がある。
キャンセル料がかかる。
学校への連絡もしなければならない。
朝までに決めなければいけない。
現実的な締め切りがあるからこそ、
「行くの?行かないの?」
「本当はどうしたいの?」
「早く決めて」
と言いたくなります。
けれど、子どもの状態が不安定な時ほど、
決断を迫ることで、かえって
「行かない」に倒れてしまうことがあります。
まず見るべきなのは、
修学旅行そのものを嫌がっているのか、
それとも今のコンディションが悪くて
「行けない気がする」状態になっているのかです。
以前は修学旅行の話に反応していた。
行き先や友達の話には興味を持っていた。
行きたい気持ちはありそうだった。
それなのに直前になって、
テストに行けなかった。
学校に行けなかった。
夜更かしが続いた。
自暴自棄のような言葉が出てきた。
この場合の「行かない」は、
本当に行きたくないという意思ではなく、
今のしんどさに引っ張られて、
行ける可能性まで自分で
消そうとしている状態かもしれません。
だから、親がまず見るのは
言葉だけではありません。
その奥にある子どもの状態です。
「行かない」は本心とは限らない。けれど否定もしない
ここで大事なのは、
「行かない」という選択を否定しないことです。
最初から本人が行きたくない。
修学旅行そのものに興味がない。
集団行動や宿泊への不安が強い。
本人が考えた上で「行かない」と決めている。
そうであれば、その選択は
受け止めてあげていいと思います。
行かない選択も、ちゃんとした意思です。
親から見ると、
「行った方がいいのに」
「後悔するかもしれないのに」
「一生に一度の思い出なのに」
と思うことがあります。
けれど、子どもが自分で考えて
「行かない」と決めたのであれば、
その決断を尊重することも、
親子関係を立て直す上では大事な関わりです。
一方で、
本人の中に「行きたい」が残っているのに、
テストに行けなかったことへの落ち込みや、
学校に行けない自分へのがっかり感、
生活リズムの乱れ、
自暴自棄の気持ちに引っ張られて、
「もう行かない」と言っている場合もあります。
この場合は、
すぐに結論を出させない
方がいいことがあります。
「行きなさい」と
説得するのではありません。
「行かないのね」と
決めつけるのでもありません。
今のしんどい状態だけで、
未来の選択肢まで閉じないようにする。
ここが大事です。
期日が迫る時ほど、親は選べる状態を整える
修学旅行の前に、
親がやってしまいやすい声かけがあります。
「せっかくだから行った方がいいよ」
「一生に一度なんだよ」
「行かなかったら後悔するよ」
「キャンセル料がかかるんだよ」
「行くの?行かないの?はっきりして」
どれも、親としては自然に出てくる言葉です。
けれど、子どもが不安や自暴自棄で
いっぱいになっている時、
この言葉は届きにくいです。
むしろ、
責められている、
決めさせられている、
行けない自分を否定されている、
大人の都合で急かされている、
と受け取られることがあります。
特に期日が迫っている時、
親の中では、
「学校に迷惑をかけてはいけない」
「先生に申し訳ない」
「早く決めなければいけない」
という正しさで判断します。
けれど、この正しさが強く出すぎると、
子どもは本当に困った時に、
「困っている」
「迷っている」
「助けてほしい」
と言えなくなってしまうことがあります。
迷惑をかけてはいけない。
早く決めなければいけない。
ちゃんとしなければいけない。
だから、期日が迫っている時ほど、
親は子どもに考える余白を渡すことが大事です。
もちろん、
学校や先生への連絡は必要です。
期限やキャンセル料を
無視していいわけではありません。
ただし、それは大人側で
現実的に確認することです。
たとえば学校には、
「本人はまだ迷っている状態です。
荷物だけ先に持っていき、
最終判断は当日の朝でも可能でしょうか。」
と確認する。
これは、
子どもを急かすためではありません。
子どもが選べる幅を残すために、
大人が先に情報を整理するということです。
子どもには、こう伝えます。
「今、行くか行かないかを決めなくていいよ。
でも、後から“やっぱり行く”と思った時に
困らないように、荷物だけは出しておこう。
これは、行けって言っているわけじゃないよ。
選べる状態を残しておくためだよ。」
荷物を出すことは、行く約束ではありません。
後から「やっぱり行く」と思えた時に
困らないための準備です。
親が目指すのは、子どもを
修学旅行に行かせることではありません。
本人が自分の意思で選べる状態を守ることです。
修学旅行に行かなかった人生も、ちゃんと続いていく
修学旅行は、たしかに大きな学校行事です。
けれど、
「一生に一度の思い出がなくなる」
と、親が背負いすぎなくても大丈夫です。
修学旅行に行かなかったからといって、
その後の人生が大きく変わるわけではありません。
行けなかったことを、
かわいそうなこと。
取り返しのつかないこと。
人生の大きな損失。
として扱いすぎると、子ども自身も
その出来事を重く受け止めすぎてしまいます。
我が子は、
中学の修学旅行に行かない選択をしました。
そして実は、
高校の修学旅行にも行っていません。
親としては、
「本当にこれでいいのかな」
「あとから後悔しないかな」
と思わなかったわけではありません。
けれど今、そのことについて
彼は後悔していません。
なぜなら、それは
彼が自分で決めたことだったからです。
誰かに無理やり行かされたわけでも
親に勝手に決められたわけでもない。
責められて、追い込まれて、
選ばされたわけでもない。
自分で考えて、自分で選んだ。
だからこそ、
あとからその選択を、
自分の人生の一部として
受け止めることができているのだと思います。
我が家では中学の修学旅行の
出欠の決断が迫られた時期に、
別の目標が生まれました。
それは、
私が用意したものではありません。
彼自身の願望から始まったことでした。
「カードゲームの全国大会に行きたい」
そう言ったのです。
地方に住む我が家にとっては、
現実的とは思えないほど
大きな夢でした。
しかも、その全国大会の行き先は、
偶然にも、修学旅行で行く予定だった場所と
ほぼ同じでした。
私はその時、
「いいね。それがあなたの修学旅行だね。」
そう思って応援しようと決めました。
もちろん、
簡単に叶う夢ではありません。
それでも、私にとっては、
その夢が叶うかどうか以上に、
彼が初めて自分から「これをしたい」と
口にしたことが、とても大きなことでした。
修学旅行には行かなかった。
けれど、彼の中から、
自分で次に向かう目標が出てきた。
その瞬間に立ち会えた時、私は、
発達科学コミュニケーションをしていて
本当によかったと思いました。
自分の気持ちを否定されず、
すぐに正されず、
責められずに受け止めてもらう
経験が少しずつ積み重なると、
「本当はこうしたい」
「これをやってみたい」
「ここに行ってみたい」
という気持ちが、
もう一度出てくることがあります。
修学旅行に行かなかったことを、
正解にする必要はありません。
「やっぱり行けばよかったのに」
「せっかくの機会だったのに」
と責め続けて、失敗の記憶に
してしまう必要もありません。
修学旅行に行けたかどうかよりも大事なのは、
子どもが自分で選んだあと、
家庭の中で責められずに
戻ってこられることです。
そして、自分の中から出てきた
「やってみたい」を、
もう一度言えるようになることです。
自暴自棄の時に必要なのは、
説得ではありません。
子どもが後から選び直せる余白です。
親ができるのは、
答えを急がせることではなく、
その子が自分で決められる状態を
そっと整えておくことなのです。

