「子どもの味方でいたい」
本当はそう思っている。
けれど、
何を言っても反発される。
心配して声をかけても、またバトルになる。
時には「うざい」「黙れ」と
暴言を吐かれる。
そんな毎日が続いたら、
「もう優しくなんてできない」
「味方になんてなれない」
と思うことだってあります。
もう好きにしたらいい。
学校に行かなくても、
ゲームばかりしていても、
昼夜逆転していても、
本人の人生なんだから放っておけばいい。
そう思えたら、どれだけラクだろう。
それでも、
本当にどうでもいいとは
思えないんですよね。
困っていたら気になる。
このままで大丈夫なのかと心配になる。
できることなら、
この子の味方でいてやりたい。
この記事は、そんなお母さんに
読んでほしいと思っています。
反抗期の子どもを「もうどうでもいい」と思えないお母さんへ
暴言を吐かれて、何度も傷ついて、
「もう知らない」
「勝手にすればいい」
と突き放したくなることもあると思います。
それでも、
朝になれば起きられるのか気になる。
何も食べていなければ心配になる。
学校のことも、ゲームのことも、
これからのことも、
やっぱり気になる。
だから声をかける。
すると、
「わかってる!」
「うるさい!」
「黙って!」
と返ってきて、
また親子バトルになる。
そして今度は、
「また言ってしまった」
「もっと優しくすればよかった」
「私はこの子の味方になれていない」
と自分を責める。
けれど、
もう傷つきすぎているお母さんが、
さらに頑張って
「いいお母さんになろう」
「もっと受け止めよう」
とする必要はないと私は思っています。
今すぐ、子どものいい味方に
なろうとしなくてもいいんです。
そもそも「子どもの味方」ってなんでしょう?
子どもの味方って、
なんでも受け止めてあげられる人でしょうか。
なんでも子どもの言うことを
聞いてあげる人でしょうか。
それでは、ただの言いなりですよね。
一方で、
子どもがどう思っているのかも聞かずに、
「あなたはこうした方がいい」
「普通はこうするもの」
「今はこれをやるべきでしょ」
と、
大人の考えだけを押し通してしまう。
それも、
子どもの味方とは
少し違うと私は思っています。
まずは、
「あなたはどうしたい?」
「どう思ってる?」
と聞いてみる。
もちろん、
すぐに答えてくれるとは限りません。
自分でも答えが出せないことに
苦しんでいるのかもしれません。
はっきり答えてくれたとしても、
お母さんには
理解しがたいことばかりかもしれません。
「学校には行きたくない」
「ずっとゲームしていたい」
「今は何もしたくない」
そう言われたら、
「そんなのダメでしょ」
「この先どうするの?」
「それじゃ困るよ」
と言いたくなることもあるでしょう。
それでも、
たとえどんな気持ちだったとしても、
まずは、
すぐに否定しない。
「そう思ってるんだね」
「今はそうしたいんだね」
と、その子の中に
そういう気持ちがあることを知る。
気持ちを受け取ることと、
その通りにすることは別です。
お母さんには
お母さんの考えがあっていい。
できることと、
できないことがあっていい。
無理に
「それでいいよ」
と肯定する必要もありません。
まずは、否定しないでおく。
私は、それも立派な肯定だと
思っています。
子どもの味方になる前に、まず親子バトルを減らす
ここで一つ、
順番を変えてみてほしいんです。
「この子の味方にならなくちゃ」
と頑張る前に、
まず、
「これ以上バトルにしない」
それだけを目標にする時期があってもいい。
むしろ、
子どもの味方になれるのはその後です。
「私はあなたの味方だよ」
と言いながら、
責める。
問い詰める。
正そうとする。
言い負かそうとする。
そして毎日バトルになる。
それで子どもに
「お母さんは味方だとわかってほしい」
と願うのは、
少し虫がよすぎるのかもしれません。
子どもが見ているのは、
「私は味方だよ」という言葉より、
実際にどう関わってくるのかです。
味方は、
名乗るものではなく、
日々の関わりの中で
伝わっていくものだからです。
だから、
今は味方になろうと
頑張らなくてもいい。
まずは、
すぐに否定しない。
言い返さない。
追いかけない。
必要なら、
少し距離を取る。
そして、
いつも始まっていた
親子バトルを一つ減らす。
お母さん自身に余白が戻れば、
初めて、
「この子はどう思ってるんだろう」
と考えられるようになります。
子どもにも、
「また怒られる」
「また何か言われる」
ではなく、
自分で考える余白が戻ってきます。
反抗期の子どもに言いたかった一言を見送ってみる
親子バトルを減らすために、
何か特別なことを
始めなくてもいいんです。
むしろ、
今までやっていたことを
一つ減らしてみる。
たとえば、
「お風呂入った?」
「明日の準備した?」
「宿題は?」
「そろそろゲームやめたら?」
「何時に寝るの?」
と言いたくなった時。
「あ、今までならここで言ってたな」
と一度止まってみる。
そして、
命や安全に関わることではないなら、
その一言を一度見送ってみる。
これは、
「これから何も言わない」
という話ではありません。
試行錯誤です。
今日は言わずにいたらどうなるだろう。
一度、観察してみるんです。
すると、
何も言わなかったのに
自分でお風呂に入るかもしれない。
文句を言いながらも
なんだかんだ準備するかもしれない。
ずっとゲームをしていたのに、
自分で区切りをつけて動くかもしれない。
一度「やらない」と言ったのに、
しばらくしたら自分から
戻ってくるかもしれません。
そんな、
今までお母さんの声かけの
陰に隠れていた、
「この子、自分で動けるんだ」
という瞬間が見えてくることがあります。
その時には、
「自分でやったんだ」
「切り替えたんだね」
「なんだかんだ間に合ったね」
と、驚いたり、喜んだりしてあげたらいい。
距離を取っていても、
子どもが動いた瞬間に
リアクションすることはできます。
私は、
それも立派な
親子のコミュニケーションだと
思っています。
手放すことは放置ではない。子どもが考える余白を残すこと
手放すというと、
「放置している気がする」
と罪悪感を感じるお母さんがいます。
けれど、私が考える手放すは、
子どもを見なくなることではありません。
子どもを「動かす役」を一度手放して、
自分で考え、自分で選び、自分で動くための
余白を残すことです。
私は、これが
「脳が育つコミュニケーション」だと
考えています。
大人が先に答えを出して、
子どもを正しい方向へ
動かし続けるのではなく、
子ども自身が、
「どうしよう」
「じゃあ、次はどうする?」
「自分はどうしたい?」
と考える時間を残す。
そして、
自分で選んで、
自分で動いた経験を
一つずつ増やしていく。
そのために、
あえて言わない。あえて待つ。
必要な時には手を貸す。
脳を育てるために大切なのは、
大人がたくさん教えることだけではなく、
子ども自身の脳を
使う時間を奪わないことだと
私は思っています。
親が先回りをして、
忘れないように言う。
失敗しないように確認する。
困らないように準備する。
そうすれば、
失敗は減るかもしれません。
けれど同時に、
「あ、忘れた」
「どうしよう」
「次はどうしたらいい?」
と、
子ども自身が考える機会まで
取り除いてしまうことがあります。
さらに、
そこで親子バトルになれば、
子どもの頭の中は
「次どうしよう」
ではなく、
「また言われた」
「うるさい」
「どう言い返そう」
「どうやって逃げよう」
でいっぱいになります。
だから、
すぐに言わない。
すぐに動かさない。
すぐに失敗を取り除かない。
もちろん、
命や安全に関わることは別です。
けれど、
そうではないことで、
これまで何度も同じ注意をして、
何度も親子バトルになってきたのなら、
勇気を持って、
今までとは違う行動を
一つ選んでみてください。
うまくいくこともあれば、
そうではないこともあるでしょう。
それでいいんです。
その子に合う関わり方を探すのは、
正解を当てることではなく、
試行錯誤だからです。
近づきすぎて
子どもを動かそうとしない。
離れすぎて
「もうどうでもいい」と突き放さない。
少し距離を取りながら、
必要な時にはちゃんと反応できる。
そのくらいの距離から始めていいんです。
「本当は、この子の味方でいてやりたい」
そう思っているのなら、
まずは無理をして味方になろうとすることより、
今日一つ、
親子バトルを減らすことから
始めてみませんか。
「見守る」と「放置」の境目がわからないお母さんへ
とはいえ、
「じゃあ、どこまで言わなくていいの?」
「ゲームも?」「学校も?」
「昼夜逆転も?」「お風呂も?」
「宿題も?」
ここが一番難しいところですよね。
本当は、この子の味方でいたい。
けれど、どこまで待って、
どこから声をかけたらいいのか迷っている。
そんなお母さんへ。
60分ミニセミナーでは、
暴言・暴力・無気力で
親子バトルが続いているご家庭に、
私がこれまで見てきた中で
ほぼ共通して起きていることを
お伝えします。
声かけを増やす前に、
子どもを動かそうとする前に、
まず“話が届く親子”に戻ること。
その最初の一歩を 一緒に見直す60分です。



