「手伝っていたら、自立できなくなるのでは?」
「もうこの年齢なんだから、自分でやらせた方がいいのでは?」
子育てをしていると、
見守った方がいいのか、
手伝った方がいいのか、
迷う場面があります。
受講生のお母さんから、
秋ならではのこんな相談がありました。
「もう嫌だ!」秋刀魚を食べながら癇癪になった小学4年生
夕食に、
秋刀魚の塩焼きを出した日のことです。
小学4年生のお子さんが、
箸で身を骨から外しながら
食べようとしていました。
お母さんが、
「真ん中に切れ目を入れるんだよ」
と教えると、そこまではできました。
次に、
箸を使って身を左右に開く方法を
教えたところ、
「もう嫌だ!」
と癇癪になり、
別の部屋へ行ってしまいました。
お母さんとお父さんは、
「できてるよ」
と励ましたそうです。
その後、
お子さんに話を聞いてみると、
「ママが手伝ってくれなかったから」
と言いました。
そこでお母さんは、
あの「もう嫌だ」は、
「手伝ってほしい」だったのかもしれない。
と気づきます。
「次からは、
手伝おうか?と聞いてみようと思う」
とご主人に話すと、
「そんなことをしていたら、
毎回手伝わなきゃいけなくなるよ。
それでいいの?」
と言われたそうです。
手伝うことは、
本当に子どもの自立を
妨げるのでしょうか。
「小学4年生ならできる」ではなく、その子の今を見る
このお子さんには、
これまでにも、
目で見たものに合わせて
手を動かすことや、
書くことへの苦手さがありました。
以前は、
放課後等デイサービスで
ビジョントレーニングにも
取り組んでいました。
ところが、
「もう行きたくない」
「行っても意味がない」
と言うようになり、
ここ1か月ほど
行けなくなっていました。
お母さんは以前、
「学習の土台を育てるためにも
必要なことだと思うのに、
本人にうまく伝わらない」
と、とても心配されていました。
そんな背景も含めて
今回の秋刀魚を見てみると、
「魚を食べる」
という一つの行動にも、
実はいくつもの力が必要です。
骨と身を見分ける。
見ている場所に箸先を動かす。
両手を使う。
力加減をしながら身を骨から外す。
しかも秋刀魚には、
小さな骨もたくさんあります。
大人には何気ない食事でも、
その子にとっては、
いくつもの力を
同時に使う難易度の高いこと
だったのかもしれません。
発達は、一足飛びには進みません。
得意なことは年齢以上にできるのに、
ある部分にはまだ手助けが必要。
発達に凸凹がある子には、
そんなアンバランスさが
見られることがあります。
そしてこれは、
診断がついている子だけの
話ではありません。
手先を使うことが苦手。
切り替えることが苦手。
見通しを立てることが苦手。
失敗すると一気に嫌になってしまう。
程度の差はあっても、
誰にでも得意と苦手があります。
だから見るのは、
「小学4年生なら、これくらいできるはず」
という大人の当たり前ではありません。
この子は今、どこまでならできる?
どこから難しくなる?
どんな助けがあれば、もう一歩進める?
年齢に子どもを合わせるのではなく、
私たち大人の方が、
その子の「今」に合わせていく。
私はそこを大切にしています。
ABC分析のAを整えるとは、苦手を全部避けることではない
今回のお母さんは、相談の最後に、
「苦手そうなものは、
あえて準備しない方がいいのでしょうか。
これはABC分析のAの部分ですよね」
と書いてくれました。
私は、ここまで考えられたこと自体が
とても大事だと思いました。
「癇癪を起こした」
という行動だけを見るのではなく、
その前に何があった?
何が難しかった?
負荷が高すぎなかった?
環境を変えられるところはない?
と考えられるようになったからです。
その見方は、
これからいろいろな場面で使えます。
一方で、Aを整えることは、
「もう秋刀魚を出さない」
ということではありません。
苦手を避けるのではなく、
今のその子が
「できそう」と思えるところまで、
難易度を調整する。
ABC分析でAを見るとは、
そんな環境調整でもあります。
必要なのは「どこまで手伝う?」と話し合える親子関係
ここで、
もう一つ大切なことがあります。
どのくらい手伝うのかを、
親だけで決めないことです。
「ここ、手伝おうか?」
「どこまでやってほしい?」
「ここからは自分でやる?」
と、本人と話し合える関係が必要です。
親がどれだけ、
「こうした方がいいよ」
「この方法ならできるよ」
と良い方法を知っていても、
子どもが、
「また教えられた」
「またできていないと言われた」
と受け取る関係になっていたら、
必要な支援まで届きにくくなります。
これは、
秋刀魚だけの話ではありません。
勉強も、
生活習慣も、
学校のことも、
専門的な支援も同じです。
何を教えるか。
どんなトレーニングをするか。
その前に、
「この人の話なら聞いてもいい」
「困った時には、この人に相談してもいい」
と思える関係があること。
私はそこが、
支援を届ける土台になると考えています。
そして、
「手伝って」と言えることも、
大切な自立の力です。
何でも一人でできることだけが
自立ではありません。
自分でできることは、自分でやる。
難しい時には、助けを求める。
「ここは手伝って」
「ここからは自分でやる」
と自分で選べることも、
これから生きていくために必要な力です。
専門機関に行きたがらない思春期の子にも、同じことが言える
この考え方は、
小学生だけのものではありません。
思春期以降になると、
親が専門機関につなげたいと思っても、
本人が行きたがらないことがあります。
「カウンセリングに行って、
親以外の人に話を聞いてもらえたら」
「専門家なら、
何か違う視点をくれるかもしれない」
そう思うお母さんも少なくありません。
けれど本人からは、
「そんなところに行って、
何の意味があるの?」
と言われてしまう。
私は、
そんな親子をたくさん見てきました。
我が子も同じでした。
多感な思春期に、
自分の気持ちや悩みを話すことは、
決して簡単なことではありません。
相手との相性もあります。
本人が、
「話してみたい」
「この人なら話してもいい」
と思えるまでに
時間が必要なこともあります。
もちろん、
専門的な支援が必要な時には、
専門家の力を借りることは大切です。
その一方で、
専門機関に行けないから何もできない、
ということではありません。
毎日の食事。
料理。
買い物。
遊び。
片づけ。
何気ない親子の会話。
日常の中にも、
発達や自立につながる経験は
たくさんあります。
そこでお母さんが、
「この子は今、何が難しいんだろう」
「どこならできそう?」
「どうしたら、少し面白がれるかな」
という視点を持っている。
それだけでも、
毎日の関わりは変わります。
「できるようにさせなくちゃ」
と苦手を繰り返し練習するより、
「楽しい」
「それ、面白い」
「もう一回やってみたい」
と思えた時、
子どもは自分から動き始める
ことがあります。
できないことを直す時間だけが、
発達を育てる時間ではありません。
いつもの生活を、
「できた」
「楽しかった」
「またやってみたい」
が増える時間にしていく。
家庭だからこそできることが、
そこにはあります。
「お母さんが我が子の専門家になる」ということ
発達科学コミュニケーションには、
「お母さんが我が子の専門家になる」
という考え方があります。
これは、お母さんが
何でも一人で判断することでも、
専門家の代わりになることでもありません。
この子は、どんな時に困るのか。
どんな時ならできるのか。
何が負荷になりやすいのか。
どんな言葉なら受け取りやすいのか。
何をすると、
「楽しい」
「面白い」
と動き始めるのか。
毎日の中で、
我が子を知っていくことです。
我が子のことを
毎日見ているからこそ、
お母さんにしか
気づけないことがあります。
一方で、
心配や不安が大きくなると、
私たち親の視野も狭くなります。
「やる気がない」
としか見えなかったり、
「今やらせなければ」
と焦ったり、
子どものためを思って
良かれとしている関わりが、
今の子どもには
負荷になっていることもあります。
大切なのは、
お母さんの当たり前に
子どもを合わせることではなく、
私たちが、その子の今に合わせること。
発達は一足飛びには進みません。
今、この子はどこにいる?
何ならできそう?
何があれば、もう一歩進めそう?
その子をよく見ながら、一段ずつ育てていく。
そのために、
お母さん自身の
ものの見方や捉え方を広げていく。
それが、
「お母さんが我が子の専門家になる」
ということだと
私は考えています。

